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特集

AIと脳科学であなたをもっと知る――人に迫り人を究めるコミュニケーション科学

知覚心理学で探る触覚の仕組み

指先は、机の上に落ちた髪の毛や、金属の磨き度合いなど、かなり細かな違いを区別できる素晴らしいセンサです。私たちのグループは知覚心理学の手法を使って触覚の仕組みを研究しています。本稿では「錯覚」を通して、触覚システムがどのように情報を取捨選択し、安定した知覚を形成しているのかを調べた研究を紹介します。こうした研究は、効率的な情報提示技術につながることが期待されています。

黒木 忍(くろき しのぶ)
NTTコミュニケーション科学基礎研究所

触覚 × 知覚心理学

手は道具でありセンサです。手指を巧みに使うことで、人間は上手に進化を遂げてきたと思います。道具をうまく使うには速くて正しい計測と処理が有効です。私たちはこの、皮膚を通じた情報処理に興味を持っています。「手に取るように分かる」「肌で感じる」など、触覚にかかわる比喩表現には、ものごとを深く理解する様子をイメージさせるものが多くあります。ところが、触覚が実際に何をやっているのか、その情報処理に関する研究は意外なほど疎で、その処理のメカニズムはあまり良く分かっていません。自己と世界の境界から得られる感覚であるため、その接触面で起きる現象を直接計測したり、人工的に再現したりすることが難しいなど、技術的な課題もありました。近年の技術進歩に伴い、視覚や聴覚の研究を追いかけるかたちで、少しずつ触覚についても解明が進んでいます。
知覚心理学とは、人間をシステムとして扱い、その内部処理を同定する学問です。人間に対して、何か画像や音のような入力を加えたときに、出力としてどのような知覚が得られるのかを調べます。例えば、明かりをゆっくり点けたり消したりすると明るさの変化を知覚することができますが、切り替え速度を上げていくと明滅は徐々に見えにくくなり、蛍光灯ほど高速になると変化は検出できません。このように、少しずつ入力を変化させながら、私たちの知覚に影響を及ぼす物理量や、その範囲を調べていきます。
本稿では、触覚の仕組みや特徴について考える手掛かりとなる「錯覚」を2つ紹介します。ここで言っている錯覚というのは、例えば、物理的には全く同じ入力に対して、異なるものを知覚してしまう、あるいは物理的に異なるものに対して同じものを知覚してしまう、といった現象です。錯覚を通して、脳がどのような情報に感度を持ち、またどのような情報にはあまり感度を持たないのか、を調べることができます。この試みは、効率的な情報提示方法を考えるうえでも役立ちます。

2つの振動が混ざってしまう周波数の錯覚

モノの表面に触れると、指先の皮膚に振動が発生します。その振動を通じて、さらさら、ざらざら、といった質感を感じることができます。これらは皮膚の中にある受容器、触覚のセンサで符号化された、振動の周波数の情報に基づいた知覚です。網膜に複数のセンサがあり、それぞれ異なる色に対して感度を持つように、皮膚にあるセンサにもいくつかの種類があります。それぞれのセンサは、ある種類は小粒で皮膚表面に密集し、また別の大きなものは皮膚深くにぽつぽつと点在するなど、異なるかたちと分布を持っています。その結果、ゆっくりした変形に応答するセンサや、着信バイブレーションのような高周波の振動に良く応答するセンサといった具合に、種類ごとに個性が生まれます(図1)。では、周波数というものはこれら異なるセンサの信号をどのように使って符号化されているのでしょうか。
触覚だけでなく、視覚や聴覚においても、時間周波数の異なる入力はその違いを知覚することができます。例えば目の場合、赤色の光(波長が長い)と緑色の光(波長がやや短い)を同時に、近い場所に提示すると、黄色の光(赤と緑のおよそ中間の波長)を感じます。赤と緑、それぞれを感じることはできません。有名な光の三原色です。一方で音の場合、例えばドの音とミの音を聞いたときに、中間のレの音が聞こえるということはなく、和音として両方聞こえる、分解できると思います。手はどちらに似た処理をしているのでしょうか。
私たちは、振動の三原色のような現象が観察できるか、複数の振動に触れた場合に中間の振動周波数を感じるかどうかについて、実験を通して検討しました。ここで、単純に皮膚表面に2つの周波数を合算した合成振動を加えてしまうと、皮膚が弾性体であるため、センサに振動が届くころには物理的に振動が減衰してしまうおそれがあります。そこで、人差し指と中指、2本の異なる指に対して、異なる周波数を持つ2つの振動を1つずつ、同時に加えることで、赤色と緑色を同時に見ているような状況を疑似的に再現しました。実験では、2つの指に異なる周波数を持つ正弦波振動を加える「合成振動」について、その周波数を、2つの指に同じ正弦波振動を加える「比較振動」の周波数と比較してもらいました(図2)。すると、合成振動で提示した2つの振動の中間の周波数を持つ振動を提示したときに、合成振動と同じくらいの周波数であるように感じられるということが分かりました。ここだけみると、光の三原色と同じような結果になっています。また、この現象は、合成振動を片手の2本の指に加えた場合だけでなく、右手と左手の指に加えた場合にも観察されることが分かりました。右手と左手という明らかに異なる部位に、全く異なる周波数の振動を加えた場合にも、私たちはまるでその2つの振動が同じ周波数を持つ入力であるかのように、混ぜて感じてしまうようです。
ただし、合成振動は完全に混ざってしまうわけではない、ということも実験を通して分かってきました。2つの指で異なる周波数を持つ振動「合成振動」に触れた場合、右の指と左の指に何らかの(例えば強さなどの)違いを感じます。また、周波数では同じくらいの正弦波振動と比べても、合成振動はノイジーに感じます。触覚の場合、視覚と違って、合成振動と普通の振動で、知覚的等価性が担保されないのです。
まとめると、触覚では周波数の異なる複数の振動に触れたときに、複数の振動があることが分かるので、目とは異なる符号化を行っていることが分かります。しかし、2つの周波数を別々に感じることはできないので、耳とも異なっています。触覚は、視覚と聴覚の間のような特徴を持っているのではないか、と考えられます(1)。

違って見えるのに触ると似てしまうテクスチャの錯覚

私たちの身の周りに存在する物体は、多様な表面の凹凸パターン、テクスチャを持っています。思いどおりのテクスチャを人工的に設計することは技術的に難しかったため、テクスチャの研究は簡単な実験刺激を作成するか、世の中にすでに存在する素材をそのまま使うことで行われてきました。私たちのグループでは、単純な実験刺激と複雑な現実世界の間をつなぐ試みとして、レーザーカッターや3Dプリンタを使い、複雑な空間パターンを持つ表面テクスチャを作成して、研究を進めています。
テクスチャの設計には画像をハイトマップとして利用しました(図2(a))。白い所が凸、黒い所が凹み、彫りが深いところを表します。画像を用いることで、表面凹凸の持つ空間周波数や、その帯域などの統計量を、簡単に操作することができます。実験では、各画像を4cm× 4cm、 彫りの深さ最大で2mmの試料片として3D印刷して、表面テクスチャを作成し、それぞれのテクスチャを区別できるかを調べました。図3(a)に示されている5枚の画像は、紙やすりの番手などで表されるような中心周波数、比較的単純な統計量を変調してあります。これらの画像に基づいて3D印刷した試料片は、右に行くほど中心周波数が高く、ぽこぽこした表面からザラザラした表面になります。実験でこの表面の触り分けを行うと、高い成績が得られます。良く知られている現象ですが、人間は中心周波数の変調には非常に感度が高いのです。では、全く違う画像に基づく試料片の弁別はどうでしょうか。図3(b)の5枚は、画像データベースから取ってきた自然画像です。輝度値の平均と分散をそろえてありますが、白黒の空間的な配置に違いがあるため、目で見ると簡単にパターンの違いを見分けることができます。しかし、手で触るとあまり違いを触り分けることができません。特に、石・サンゴ・葉っぱの3枚(図3(b)の紺枠で囲んだ3枚)については、それぞれ見た目が全く異なるにもかかわらず、区別ができませんでした。テクスチャの弁別という課題においては、目と手で、入ってくる情報の計算の仕方が違うらしい、ということがこの錯覚から分かります。
では、目と手の情報処理はどのように異なるのでしょうか。私たちは、テクスチャ表面の設計図となった画像について解析を行いました。自然画像というのは、空間周波数が上がるにつれて振幅が下がるという特徴的な振幅特性を持っています。図3(b)の5枚の画像に対してそれぞれフーリエ変換をかけて、振幅(濃淡の強さの情報)と位相(濃淡の分布情報)という異なる統計量に分けてから見比べると、5枚の振幅はよく似ている一方で、5枚の位相は全く異なっています。目は、画像をフーリエで分解した先の、振幅と位相(の一部)を両方情報処理しています。一方で、手では主に、振幅の特性のほうを情報処理して触り心地を計算し、位相特性のほうはあまり使っていないのではないか、ということが考えられます(図3(c))。この性質を利用することで、違って見えるのに触ると似てしまうテクスチャを自由に作成することができるようになりました (2)。位相の算出には振幅の算出よりも計算コストがかかります。触覚は、位相の情報処理にあまりリソースを割かず、どちらかというと、振幅特性の細かな違いに感度を持つように進化をしたのではないか、と仮説を立て、引き続き研究を行っています。
紹介してきたように、私たちのグループでは知覚心理学の手法を使って触覚の仕組みを研究しています。五感の研究はもともと、視覚・聴覚を対象にしたものが多く、触覚の研究はあまりありませんでした。研究を行うための道具が進歩してきたこともあり、最近やっと手の研究も増えてきています。五感には似たような処理もたくさんありますが、やはり、別々のかたちをして進化をしてきた感覚器なので、それぞれ、異なる情報処理を行っている可能性があります。視覚には視覚の、聴覚には聴覚の、そして触覚には触覚の処理、知覚のルールがあります。こうした知覚のルールに関する理解を積み重ねていくことが、触覚の理解につながると同時に、将来的な触覚情報提示の可能性を啓くと期待しています。

 

■参考文献
(1) S. Kuroki, J. Watanabe, and S. Nishida:“Integration of vibrotactile frequency information beyond the mechanoreceptor channel and somatotopy,”Scientific Reports, Vol. 7, No. 2758, 2017.
(2) S.Kuroki, M.Sawayama, and S. Nishida:“Haptic metameric textures,”bioRxiv, doi: https://doi.org/10.1101/653550, 2019.

黒木 忍

私たちは自身のセンサとしての特性も含めたうえで、外界を知覚しています。外界の物理情報と内的な知覚状態の関係性について、機能的なモデルを構築することで、人間理解への科学的な貢献と、産業分野への工学的な貢献をめざしています。

問い合わせ先

NTTコミュニケーション科学基礎研究所
人間情報研究部
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FAX 0774-93-5026
E-mail cs-liaison-ml@hco.ntt.co.jp