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特別連載 

ムーンショット・エフェクト ── NTT 研究所の技術レガシー

第1 回 オールフォトニクスというムーンショット

ノンフィクション作家の野地秩嘉(のじつねよし)氏より、「ムーンショット・エフェクト――NTT研究所の技術レガシー」と題するNTT研究所の技術をテーマとした原稿をいただきました。NTT技術ジャーナルにおいて特別連載を12回にわたり掲載します。連載第1 回目は「オールフォトニクスというムーンショット」です。本連載に掲載された記事は、中学生向けに新書として出版予定です(NTT技術ジャーナル事務局)。

は じ め に

■ムーンショット

ムーンショット(Moonshot)という言葉が知られるようになったのは元アップルコンピュータのCEO、ジョン・スカリーの著書からだ。彼が書いた『ムーンショット! -Moonshot!』にはワールド・ワイド・ウェブやアップルのiPhoneなどがムーンショットの代表例として示されている。
ただ、元々、この言葉を使ったのはアポロ計画を推進したジョン・F ・ケネディ大統領だった。
「1960年代が終わる前に月面に人類を着陸させ、無事に地球に帰還させる」
人を月に送るなんて、パソコンもインターネットもなかった時代には夢だった。可能だとしても、膨大な時間と卓越した技術と数多くの優秀な頭脳が必要だった。
そんなムーンショットには3つの要素が必要とされる。
Inspiring( 人々を魅了する)、Imaginative( 創意にあふれ斬新)、Credible(信憑性がある)。
では、新型コロナウイルスが蔓延した後の時代のムーンショットとは何なのだろうか。
NTTが昨年、発表したIOWN(アイオン:Innovative Optical and Wireless Network) 構想はそれにあたる。 地味な研究者集団のNTT研究所が敢然として発表した構想を読むと、Inspiringで、Imaginativeなアイデアにあふれ、しかもCredible。決して、持ち上げているわけではなく、構想にある通りのことを実現したら、今の時代のムーンショットになるだろう。
そんなIOWN構想のなかで、もっとも重要な部分がフォトニクスと関連の技術だ。本連載ではフォトニクスとその時代、その技術について、中学生以上の誰もが理解できるように話を進めていく。
フォトニクスと関連技術をすべて理解することは決して簡単なことではない。しかし、勉強しているうちに、 楽しくなってくるのも事実だ。
フォトニクスの詳細を理解しようとすることは、現代美術の作品と向かい合った時の感覚に似ている。「すべてを理解することはできないけれど、でも魅力を感じる。目を離すことはできない」
このように、光と光の技術は奥が深く、魅力にあふれている。

第一回 電気から光へ

■蒸気から電気へ

第一次世界大戦が勃発したのは1914年のことだ。日英同盟を結んでいた日本は英国への情誼をもとにドイツに対して宣戦を布告し、結果として戦勝国となった。
大戦の間、ヨーロッパ諸国からの軍需が増えた。また、 列強がいなくなった中国市場へ進出することができた。 さらに、好景気となった米国へ輸出を増大させることができた。このため、日本は空前の好景気となったのである。
開戦した1914年から戦争が終わった翌19年の間、日本の工業生産額は5倍となり、1919年には工業生産額が農業生産額を上回った。日本が農業国から工業国へ変わったのはこの時である。
そして、工業化への原動力はエネルギー構造の転換だった。
1915年、猪苗代水力発電所が完成し、東京への長距離送電が実現する。1917年には電力が蒸気力を抜いて、エネルギーの筆頭となった。それまでの日本の工場設備とは電気で動く工作機械もあったが、主力はまだ蒸気機関を使った機械が鎮座していたのである。蒸気力なんて、 歴史のなかの言葉としか思っていないかもしれないが、 けれど、電気の力が産業の現場で主力になっていくのは、この頃からだった。
一方、家庭で使われていた電気(電力)といえば電灯だ。もっとも家電製品といえばアイロンくらいしかなかった。人々は夜が明るくなっただけで、充分、満ち足りていた。
1920年、松下幸之助が大正期の三大発明のひとつ、「電灯用の二股ソケット」を発売した。以後、都市部の家庭では電灯をつけながら、アイロンを使うことができるようになった。ラジオが登場したのは1925年。その頃から二股ソケットの進化系であるコンセントが普及し始め、 家庭に電力が届けられていく。
なお、二股ソケットに並ぶ三大発明の他のふたつは亀の子たわしと地下足袋である。

■電気と通信

本論はここからだ。今でも家庭に来ている電気の線にはふたつある。ひとつは電力会社からの線である電力線、もうひとつが通信用の電話線である。
電力線より遅れて、電話線が都市部の家庭に広まっていったのは大正時代(1912-26年)だった。当時、国内の電話加入者数は40万を超え、 うち、 東京は8 万(1922年)。
その後、電力線、電話線ともに日本の津々浦々へ伸び、 離島までもネットワークは完成されている。さらに、電話線のネットワークは地球のほぼすべての地域をつないでいる。
ここで強調したいのは大正期から現代に至るまで、日本を支えたのは電力と電気通信というエレクトロニクスの力だったことだ。
他に代わるものが長期にわたって実用化されてこなかったため、エレクトロニクスに頼るしかなかったともいえる。しかし、蒸気力があっという間に電力に置き換わったように、エレクトロニクスもまた永遠の主役となることが決まったわけではない。
現に、電気通信の世界では革命的な変化が起きている。 国内の電話線においては光ファイバケーブルの架設が家庭の近くにまで進み、銅線の電話線は主役ではなくなった。身の回りではエレクトロニクスからフォトニクスへという流れが決定的になっている。
むろん家庭や工業電力の世界ではまだまだ電気の力は大きい。
だが、通信とその周辺に関しては光のネットワーク、 光の技術が浸透してきたのである。

■ 3つの大きな課題

NTTの研究部門を率いる同社常務、川添雄彦は「NTT (当時は日本電電公社)は1960年代から光技術に関する基礎研究を開始していました」と語る。
川添はIOWN構想の現場指揮官で、彼が先頭に立ってフォトニクスの普及を進めている。
「情報通信システムの世界では3つの課題がエレクトロニクスの土台を揺るがしています」
ひとつはデータの流通量が激増していることだ。2007 年、経済産業省が発表した「グリーンITイニシアティブ」にはこう書かれている。
「日本国内のインターネット内の1 秒当たりの通信量は2006年から約20年の間に、190倍になる」
2018年に出た『データ・エイジ』には「世界全体のデータ量は2011年から14年で90倍になる」と推計している。
ただし、こうしたデータよりも身の回りの電子デバイスの使い方を見ているとよりデータ流通の激増ぶりが実感できるのではないか。
現在、世界中の中学生以上の人間はほぼスマホを持っている。会話しているわけではない。SNSでつながるか、 写真や動画を送る。
固定電話や光ファイバが行き渡っていない途上国でもスマホの普及率は増大している。中国では孫へのお小遣いも、スマホを通じて送られている。
インドでは電子的な本人証明である「アドハー」(国民識別番号システム)という電子システムが普及している。顔、指紋などの生体情報を読み込み、社会保障などの本人確認などで使う。むろん、そういったデータはスマホで確認する。
世界ではデジタライゼーションが進む一方だ。今後、 インターネットを介するデータ流通量が減ることはまったく考えられない。これが第一の課題である。
二番目は電気消費量の増大だ。
スマホをはじめとする電子デバイスが増えているためエネルギーの消費量は膨大になり、歯止めが利かなくなってきている。省エネ化を進めてはいるのだが、まさに焼け石に水といった状態だ。そして、通信システムやクラウドサービスにはデータセンタが必要だけれど、電力供給の事情により、新設場所が制約される場合もある。
三番目は電子デバイス内にあるトランジスタの能力は限界にきていること。
トランジスタは電気の信号を増幅し、スイッチングすることで演算素子、 記憶素子を構成する。IC、LSI、 CPUには必ず使われている基幹素子で、情報処理の中核だ。
そしてトランジスタの数が増えることは性能が向上することにつながる。そこで、同じ性能を持った回路をより小さなチップに改良してさらに集積することで、能力をアップさせてきたのである。
だが、現在、トランジスタの大きさはすでにナノメートル、つまり10億分の1 メートルの単位にまで小さくなっている。
では、ナノメートルの大きさとはどういったものなのか。
たとえば髪の毛の直径は100マイクロメートルだ。直径の100分の1は1マイクロメートル(μm)。単位を変換すれば1000ナノメートル(nm)となる。要するに、 髪の毛の直径の100分の1の長さの、これまた1000分の1 がナノメートル。
今あるトランジスタは、もう、何がなんだかわからないくらい小さくなっているわけだ。これ以上、小型化することはほぼ不可能だろう。そんな小さなトランジスタだって電力を消費する。ICにするためには集積しなくてはならない。集積率が高まると、回路を流れる電子の数や動き方はばらつきを起こす。そうなると、トランジスタは、発熱したり、動作異常をおこしたりする。パソコンやスマホを長時間使っていると、温度上昇するのはトランジスタが全力で動いているからであり、この際の発熱も電力消費そのものだ。
データの流通量は増え続け、電気消費量も増える。情報処理の中核を担うトランジスタの小型化は限界にきている。もはや、今のエレクトロニクス技術だけでは3つの課題を解決できなくなっている。

■光のネットワークと光の技術

川添たちNTTは何も「電気はもはやおしまい」と言っているのではない。なんといっても、NTTは日本の電力全体の1 パーセントを使用しているという。彼らが率先垂範しない限り、省エネは進まない。
ただ、フォトニクスへの注力は自社の省エネで始まったわけではない。なんといっても、彼らがフォトニクスへ踏み出したのは50年以上も前からのことだから。
川添は言う。
「世界的には1960年代後半から通信用の伝送媒体としての光ファイバの研究開発が始まりました。NTTもまた同時期から光ファイバの開発、製造技術の向上を進めてきたのです。そのため、日本は世界有数の光ファイバ普及国となっています」
確かに、日本にある電話線(通信用ケーブル)の98.8パーセントはすでに光ファイバ(世帯カバー率)となっている。
日本よりも世帯カバー率が多い国にはUAE、クウェート、シンガポールが挙げられるが、いずれも人口は多くない。
1 億人以上が暮らす国でこの比率まで光ファイバになっているのは世界中で日本だけだ。
「光のネットワークは整ってきました。次はネットワークから端末の処理まですべて光の技術を導入することです。それが光電融合型の処理を行うオールフォトニクスネットワークです。
情報処理基盤の性能限界を示す熱問題を解決し、消費電力、伝送容量、遅延時間を改善するには光と電気を融合させるしかない。そうなると、電力効率は100倍、伝送容量は125倍、エンド・トゥ・エンドの遅延時間は200 分の1になります。
たとえば、光伝送技術ですけれど、 1 ファイバで1 ペタbit/s伝送できるまで技術が進展してきました。光の伝送技術に加えて光のコンピュータ基盤が実現すれば、 システム全体の遅延時間を大幅に低減できるのです」
前述のように、国内に張り巡らされた光ファイバの世帯カバー率はほぼ100パーセントだ。
住居まで光ファイバを引き込むこと。FTTH(ファイバ・トゥ・ザ・ホーム)と表現されており、すべての家庭を光ファイバで繋ぐ作業を進めている(図)。
その後の問題は室内の通信線と電子デバイスのなかの回路だろう。
だが、それもまた解決に近づいた。
川添はこう説明する。
「光コンピュータ、すなわち、回路を電子から光に変えることですけれど、世界中の光の研究者にとってはゴールのひとつでした。ただ、なかなか研究は進まなかったのです。突破口は光電変換技術です。私たちはナノフォトニクス技術を用いて光電変換のエネルギー損失を大きく減らすことができました。そして、この技術を利用した光電融合型トランジスタの動作にも成功しました。これはとても大きなことなんですよ」
光電融合型トランジスタの動作実験を成功させたのは厚木にあるNTT物性科学基礎研究所、ナノフォトニクスセンタという長い名称の研究所だ。
実際にリードしたのは同センタのセンタ長、納富雅也。
光トランジスタに代表されるさまざまな光機能デバイスを集積できるようになれば、スマホ、コンピュータといった電子機器の中に光技術を導入することが可能になり、機器の性能を飛躍的に向上できる。
フォトニクスがムーンショットになるのは、光電融合型トランジスタが私たちの持つスマホの部品に使われた時だろう。

次回は「光とは何か」「光ファイバのネットワークとは何か」である。

野地秩嘉(のじつねよし)

1957 年東京都生まれ。早稲田大学商学部卒業後、出版社勤務を経てノンフィクション作家に。日本文藝家協会会員。人物ルポルタージュをはじめ、食や美術、海外文化などの分野で活躍中。著書は『高倉健インタヴューズ』『キャンティ物語』『サービスの達人たち』『ニューヨーク美術案内』など多数。『トヨタ物語』『トヨタに学ぶカイゼンのヒント』がベストセラーに。『TOKYO オリンピック物語』でミズノスポーツライター賞優秀賞受賞。 近著は『日本人とインド人』(翻訳 プレジデント社)。