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特別連載

ムーンショット・エフェクト──NTT研究所の技術レガシー

第2回 フォトニクスの衝撃

ノンフィクション作家の野地秩嘉(のじつねよし)氏より「ムーンショット・エフェクト──NTT研究所の技術レガシー」と題するNTT研究所の技術をテーマとした原稿をいただきました。連載第2回目は「フォトニクスの衝撃」です。本連載に掲載された記事は、中学生向けに新書として出版予定です(NTT技術ジャーナル事務局)。

■光とカンブリア爆発

NTT物性科学基礎研究所のナノフォトニクスセンタでセンタ長をしている納富雅也のチームは研究者たちの夢だった光トランジスタを実現した。
そんな彼は日々、フォトニクス(光を扱う工学)を研究している。研究の傍ら、納富は教鞭をとる東京工業大学の学生たちに向けて「光とフォトニクス」の講義を行う。内容は実に魅力的で、社会人でも参加できる機会があれば、受講したくなるものだ。光、フォトニクスについて、まったくの素人が聞いてもわかりやすく、しかも向学心をそそられる。
納富が講義の第一回目に行うのが、「私たちにとっては光とは?」というテーマだ。
人間にとって光とはどういうものだったか、それをどう使ってきたかを解説した講義である。光の誕生から始まり、光合成、光ファイバ、光トランジスタ、フォトニクスにもつながっていく。
講義の概要を引きながら、わたしたちも光、フォトニクスとは何かをまず考えてみたい。

■カンブリア爆発

納富の話。
「生物にとって、光はエネルギーでした。諸説ありますが、38億年前、地球上に生命が誕生します。そしてほどなく自ら光合成によってエネルギーを作り出す生物が出てきたのです。つまり、生命は光をエネルギーとして使い始めました。太陽のエネルギーである光を化学反応に用いて、光合成を行ったのです。
この時、生命だけでなく、地球自体も太陽から来た光と熱を化学反応の動力源として使っています。
長い時間を経て、5億4200万年前から5億3000万年前の間、カンブリア爆発と呼ばれる事象が起きます。カンブリア爆発とはその時代に各種のサンゴや貝類、三葉虫などの多細胞動物が競争したかのように多数、生まれてきたことを言います。
そして、生物の歴史上、初めて眼を持った生物(三葉虫)が生まれました。眼を持った生物は光があると外界を見ることができます。眼を持っていない生物を捕食できるようになったわけです。
この時、光はエネルギーの他に、明かりとしても用いられるようになりました。
整理しますと、最初、光はエネルギーでした。現在の太陽電池、レーザ加工の技術はエネルギーとしての光を応用したものです。
そして、眼による認識を助ける役割を持った光。これは照明、カメラ、テレビ、光センサに結びつく役割ですね。
そして、50年ほど前から、光に新しい役割が加わりました。それが通信、記録、情報処理、情報伝達です。光は情報伝達の手段になったわけです。
たとえばCD、DVDのように、記録として書き込む際、光を使います。そして、光ファイバのように通信に使うようにもなりました。私が研究している光トランジスタにも、光が活用されています」

■光と電気

「元々、情報通信は電気を使っていました。アレクサンダー・グラハム・ベルが電話機を発明した時から電気を使ったのです。そして、トランジスタが発明され、情報通信は一気にアップグレードされます。しかし、そうした電気を使っていた部分が50年ほど前から光に置き換わるようになってきました。
ここで、光と電気の役目について話をします。
人間は光と電気の性質を調べていくうちに、それぞれの得意、不得意がわかってきました。
光はエネルギーや照明だけではなく、情報を載せる媒体として向いていることがわかってきたのです。
そして、光はエネルギーの手段としての使い道も広がっていますが、情報通信の媒体としても範囲が広がってきています。どこまで光を使うことができるかが私たちの今後の大きな課題でしょう。
一方、電気です。通信に電気は向くのか。実は長距離伝送には向いていないのです。電気の通信は光に比べてロス(損失)が大きく、長距離に使うとその影響が非常に大きくなります。つまり損失が大きいので、遠くに送るには向いていません。
実は光と電気の情報送信についてNTTには私よりも詳しい人が大勢います。ですから、あまり偉そうに語ることはできません。ですので、ほんのちょっぴりだけ話します。
物理的に考えると、電気は伝送する際、必ず抵抗が生まれます。抵抗をゼロにはできないので、抵抗がある銅線などに電気を流せば必ず損失があります。
ところが、光には抵抗はありません。光を使って送るとロスが少ないのです。光ファイバが発明され、電気を通す銅線と比較してみると、いかにも光の方が損失が少ない。光の損失は、伝わる媒質の透明度が影響しています。
つまり、光は媒質を可能な限り透明なものにしてやれば遠くまで送ることができます。
また、電気信号は速く送ろうと思った場合、抵抗があるために遅くなる。遅くなると、信号自体が鈍ってしまう。信号が鈍るというのは、信号の正確性がなくなることです。
ですから、信号が高速になればなるほど、スピードとエネルギーの両面で電気信号は不利になります」

■光も電気も電磁波

「光は媒質の材料をよくすることで、いくらでも速い信号を送ることができます。また、光は高い周波数の電磁波なので、ギガヘルツ、テラヘルツといった情報でも媒質の材料がよければ鈍くならずに送ることができます」

ここで、わたしは質問した。
「納富さん、光信号って実際は電磁波で電気の振動みたいですが、電気信号と電磁波ってどう違うのですか」
「野地さん、いい質問です。それ、東工大の学生でもよく混乱しています。
まず、電気信号も光も電磁的な波動として伝わります。ただし電気信号は基本的に「金属のなかの」電子が振動することによって伝わっていきます。
一方、電磁波は、場の振動です。電磁波とは電場と磁場が振動しているものです。
電磁波は電場と磁場が振動しているものが伝わっていく。電磁波は間に物があろうとなかろうと、どこでも伝わっていく。ですから、宇宙空間のような真空でも電磁波は通ります。これはものすごく大事です。
電気の信号は繰り返しますが、金属のなかを通るものですから、電磁波とは「電」という字が重なっているだけで、まったく違うものです」
「わかりました」とわたし。

なお、電磁波についての補足だが、電磁波は周波数によって、性質が大きく異なる。可視光線はヒトや動物が認識できる電磁波だ。そして、電磁波でも紫外線は殺菌作用や日焼けを起こす作用を持つ。暖房器具などが発する赤外線は暖かく感じる性質を持つ電磁波だ。X線は物を透過する性質がありX線撮影などに用いられる電磁波である。このように、電磁波は金属のなかを通る電気信号とは明確に異なる。

■光と電気の速度について

納富の話にもあったが、光を使ったネットワークの優位は速度にある。
光は速い。速度は1秒間に30万キロメートル。1秒で地球を7.5周する。電気信号も電子の振動、つまり電磁的な波動なので、実は速度自体は変わらない。だが、1秒間に送ることのできる信号量が違う。
電気と光の信号量の違いがどこにあるかと言えば、それは信号を伝える周波数が異なるからだ。光は電気よりも3桁(1000倍)以上高い周波数で伝搬する。周波数が高い(1秒当たりの繰り返しが多い)とは同じ時間でより多くの情報を伝搬できることになる。そこから考えると、光は電気よりも1000倍以上の情報を送ることができる。
具体的には、2時間分の8K映像を日本からアメリカまで送るとすると、最新の光伝送システムであれば数秒だ。一方、電気の回線を利用すると数百時間になってしまう。

■光のネットワーク

NTT未来ねっと研究所に所属するフェロー、宮本裕は入社(1988年)以来、光ファイバ通信の実用化と研究開発に携わってきた。彼に訊ねたのはふたつだ。
ひとつはなぜ日本が世界の国よりも光のネットワークが整備されているのか。もうひとつは光の通信と電気の通信の違いである。
宮本は「その前にどうしても伝えておきたいことがあります」といった。それは「NTT研究所は創立以来、実用化に重きを置いている」ことだという。
ノーベル賞級、画期的、オリジナル、世界初といった研究成果を追究するだけでなく、それが人の役に立つものとして一般に使われるように実用化することが目的だと断言する。
「NTT研究所は前身の逓信省電気通信研究所の頃から、研究だけではなく、研究開発と実用化までやるのがモットーでした。初代の所長、吉田五郎は『知の泉を汲んで研究し実用化により世に恵を具体的に提供しよう』と言っています。ここに私たちの研究所の目的が表れています。なお、『ディベロップメント』という英語をいちばん最初に『実用化』と訳したのが吉田と聞いています。それくらい、実用化にこだわっていたんですね。
ただ、私自身は入った頃、『実用化』という言葉に違和感を持っていました。しかし、研究しているうちに実用化の重要性がわかってきました。
それは研究しながら実用化を頭に置いておくと、アイデアが広がるのです。そして、実用化しようとすればこれまでの常識はほぼ通用しません。これはちょっとあり得ないよねといった非常識なアイデアの方が実用化に向きます。
従来、非常識とされたものから出たアイデアのうち役に立つものを選んで、常識として誰でも使えるようにする。それが大事なんです。実用化は簡単なことではありません。難しいことを簡単にすることです。アイデアをぐるぐる回すことが非常に重要です。そうして知恵とか知識を蓄えていくのが、『知の泉』ではないか、と。NTTが開発した光ファイバも、それまでは非常識とされたことに挑戦してできたものでした」
NTT、当時の日本電信電話公社(電電公社)が光ファイバの研究に乗り出したのは1971年2月のことだった。
その頃の電電公社にとって最大のミッションは「積滞解消」だった。日本中の事務所、家庭のすべてに固定電話が通じていたわけでなく、申し込んでも、すぐには電話の取り付け工事ができない状態(積滞)だったのである。
積滞が解消したのは1978年だ。以後、電電公社は新しい技術である光ファイバ通信システムの実用化に向けて大きな予算を投入する。
同じころ、有線通信システムはすでにメタリック(銅線)ケーブルの性能限界に直面していた。
「メタリックのネットワークでは伸びていく一方の通信量をまかなえない」
それが1970年代に起きた電気通信におけるキャパシティ・クランチ。つまり、メタリックの同軸ケーブルだけでは先々の需要をカバーできない見通しとなったのである。
宮本は「光ファイバを用いた光通信システムを導入しなければ当時のキャパシティ・クランチを脱することができなかったでしょう」と振り返る。
「電電公社は1980年代中頃から光ファイバケーブルと光ファイバを用いた光通信システムを導入していきました。
1985年には現在の世界の標準になっているシングルモード光ファイバケーブルと、毎秒400メガビットの光通信システムを一気に実用化しました。日本縦貫、つまり、北海道から鹿児島までの幹線光通信ネットワークを世界に先駆けて実用化し、日本の通信史上のマイルストーンとなっています。
研究所では1970年代後半にはすでにメタリックの同軸ケーブルを使ったシステムの限界が来るのはわかっていました。当時、金属でできた中空パイプ状の導波管(電波を伝搬する管)のなかで、ミリ波と呼ばれる高い周波数の特殊な電磁波をもちいることで、今の光ファイバ並みに、非常に低損失な電気通信が、実現できることが知られていました。
電電公社のみならず当時の世界の研究者たちはこの性質を利用して、従来のメタリック同軸ケーブルを用いた電気通信システムの性能を大幅に凌駕する、ミリ波導波管システムの研究・開発・実用化を推進したのです。
ミリ波導波管システムは、ほぼ実用化の一歩手前まで行ったのですが、同時期に、光ファイバや半導体レーザを使った光通信システム技術のポテンシャルが次々と明らかになっていきます。
当時は光ファイバ通信自体、非常識な技術と思われていたようですが、現在では、光ファイバの方は、はるかに帯域が広く、同軸ケーブルに比べると100倍以上低損失で、導波管よりはるかに軽量で敷設が容易であるケーブル化も可能だとわかりました。たとえば、同軸ケーブルに50メガヘルツくらいの信号を通すと、その信号強度はたった1キロメートル進んだだけで、100分の1になってしまいます。ところが、光ファイバに代えたら、100分の1に減衰するまでに100キロは進むことができます。損失量だけで100倍、違うのです」

■光ファイバ・システムの進化

こうした実用化に向けた努力と導入するための戦略を用意したため、現在、日本の光ファイバ敷設率は世界のトップレベルに到達している。
日本にある通信用ケーブルの98.8パーセントはすでに光ファイバ(世帯カバー率)だ(図)。
日本よりもカバー率が多い国にはUAE、クウェート、シンガポールなどが挙げられるが、いずれも人口は多くない。
1億人以上が暮らす国でこの比率まで光ファイバ化が進んでいるのは世界中で日本だけだ。そのため日本はUAEなどの国と並んで、オールフォトニクス・ネットワーク(APN)にもっとも近い位置にいる。

野地秩嘉(のじつねよし)

1957 年東京都生まれ。早稲田大学商学部卒業後、出版社勤務を経てノンフィクション作家に。日本文藝家協会会員。人物ルポルタージュをはじめ、食や美術、海外文化などの分野で活躍中。著書は『高倉健インタヴューズ』『キャンティ物語』『サービスの達人たち』『ニューヨーク美術案内』など多数。『トヨタ物語』『トヨタに学ぶカイゼンのヒント』がベストセラーに。『TOKYOオリンピック物語』でミズノスポーツライター賞優秀賞受賞。近著は『日本人とインド人』(翻訳 プレジデント社)。