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挑戦する研究者たち

多面的に考えて、自らが楽しくなるように発想転換。自分だけでなく、社会を楽しませようとすることも

アスリートのスーパープレーや私たちの何気ない日常の動作等、人間の身体動作は神経反射に代表される無意識の感覚−運動プロセスに支えられています。その1つである伸張反射の調整に視覚による身体情報が関与していることをNTTコミュニケーション科学基礎研究所が世界で初めて明らかにしました。研究成果と研究者としての姿勢について五味裕章NTTコミュニケーション科学基礎研究所 上席特別研究員に伺いました。

五味 裕章 上席特別研究員
NTTコミュニケーション科学基礎研究所

世界初。伸張反射の調整に、視覚による身体情報が関与していることを発見

現在手掛けていらっしゃる研究について教えてください。

私たちは、視覚等の感覚情報によって無意識に行われる運動における情報処理のプロセス等を、運動学的・心理物理学的手法、電気生理学的手法、計算論的モデリングなどを組み合わせて明らかにし、脳の情報処理に関する基礎知見を深めるための研究を行っています。
人間の運動には意識を介して行われる随意的運動と、意識に上らないけれど動いてしまうという潜在的運動の2つがあります。潜在的運動として分かりやすいのが、検査等で「膝の皿」の下を叩くと勝手に足が動いてしまう、膝蓋腱反射といわれる現象です。これは意識には上っていませんが、神経反射によって自分が動かしているのです。潜在的運動には、運動するために必要なさまざまな身体機構を調整する能力である運動制御を伴っており、これにより、例えばスポーツにおいて相手の動きに対応した瞬間的な反応を可能にすると考えられています。スポーツに限らず、“歩く”“立ち上がる”“物に手を伸ばす”といった、日常生活の何気ない動作も、神経反射と運動制御による姿勢の制御に支えられた潜在的運動なのです(図1)。
これらのメカニズムを解き明かすことで、脳の情報処理全体の研究につなげていきたいと考えています。

図1  感覚情報⼊⼒ から運動を⽣成する意識的・潜在的な脳の情報処理

日常の何気ない動作の解明と聞くと、研究内容がぐっと身近に感じられます。注力されている研究をさらに詳しく教えてください。

皮膚や筋、腱、関節などの受容器(センサ)からの入力によって生じる感覚である、体性感覚の情報によって引き起こされる神経反射の1つ「伸張反射」について、その情報処理に関する研究を進めています。
伸張反射は筋の受動的な伸び縮みによって生じる反射で、主に姿勢を安定に保つうえで重要な役割を果たすと考えられています(図2)。伸張反射の応答は、画一的に生成されるわけではなく、運動中に刻一刻変化する身体状態に合わせ調整されることがさまざまな研究で明らかになってきました。一方で、その調整計算のために脳内でどのような情報処理が行われているかについては、詳細には分かっていません。伸張反射の調整が体性感覚情報のみに基づくのか、あるいは視覚情報も統合した身体表象(脳内でイメージされている身体)を利用して行われているのかはその一例で、これまで未解明だったのです。
私たちは、この伸張反射が視覚による身体情報に依存して調整されることを世界で初めて明らかにしました。実験によって、視覚目標へ到達する運動中の伸張反射が「身体運動の視覚フィードバックと実際の運動の不一致」「身体運動の視覚フィードバックの消去」という条件下で通常時より小さくなることを確認したのです。
今後は得られた知見を基に、反射系調節のために行われている脳内情報処理のさらなる解明をめざします。将来的には、アスリートの能力の解析など、人間の身体動作をより深く理解していくことにつなげていきたいと考えています。
また、伸張反射の調整には体性感覚情報だけでなく「視覚情報も統合した身体表象」が利用されていると示した点について、現在、世界的に議論がなされています。私たちの仮説を支えるエビデンスを次々に示しているのですが、ほかの研究者が納得するような成果を出したいと考えています。
このほか、体性感覚の実際の応用例として、非常に重要な働きをする触覚を刺激することによって、「引っ張られている感覚」を実感させてナビゲートする小型機器「ぶるなび」を開発しました(図3)。以前のバージョンは同僚だった人たちが開発したのですが、皮膚触覚系の特性を考慮することにより小型化・多自由度化・効率性向上に成功し、握っているだけで、外部になにも物理的にはつながっていないのにさまざまな方向に手が引っ張られている感覚を生じさせることができるようになりました。目の不自由な方の誘導に使えるほか、この原理を利用して、映像に合わせて刺激を与えて、例えばモトクロスバイクに乗って森の中を駆け抜けていくといった没入感を高めるようなことも可能です。このように人間の情報処理とガジェットの開発をしていきたいと考えています。

図2  伸張反射のはたらき

図3  ぶるなび

面白さと重要性を見極める

世界的な議論を巻き起こしているとのことですが、ご自身の研究成果をどう発表するかなど心掛けていることはありますか。

研究の評価方法にはさまざまな視点があると思いますが、論文でいえば、世の中に知られていない結果を発表し、その結果がPeer Reviewで認められて出版されるわけですから、常に何らかの点で一番であることになりますし、それをめざしています。また、その成果の重要性の大小も問われ、重要であればインパクトが大きい成果として影響力のある論文誌に掲載されることになります。ちなみに、私たちが手掛けている脳に関する研究は生理学、心理学等のさまざまな分野があり、現代では専門分野における1つの観点ではなく、こうしたさまざまな側面からの知見を合わせた複合的な視点に立った研究がトレンドです。私たちの研究でいえば、運動や感覚などの物理現象や心理学的な視点と脳の部位などの神経科学的なデータを組み合わせて示していくことで、説得力やインパクトのある成果になっていきます。
このようなトレンドを踏まえて研究に臨み、その成果がいかに重要であり新しいかを論文の中で説明し、影響力の大きい専門誌に掲載することは、日々の目標のうちの1つです。体性感覚反射の成果は、ジャーナルのプレスリリースにも掲載されたことで世界的に注目されました。
研究者自身の発信も大切だと思います。NTTも研究者の発信は重要視しており、毎年、NTTコミュニケーション科学基礎研究所がオープンハウスを実施して研究成果を広く一般の方々に報告しています。いうまでもありませんが、伝える際には分かりやすさが重要です。実は、オープンハウスで一般の方に分かりやすく説明するのに試行錯誤していることが、大学での講義にも役立っています。このように日々の仕事でも伝え方を養うことができていると実感するのですが、このほかにもプロジェクトを進める際の説明が意外と役立っています。NTTは組織が大きく関係する部署も多いので、説明資料を持って諮る機会が多くなります。同じ研究成果や計画でも各部署や部門によってニーズ、視点や認知度等が違いますから、対象に合わせて分かりやすく説明することが重要です。実際の日常生活での必要性・重要性まで、一般的に、説明することを通じて他部署やマネージメント側に諮るというのは、研究とは直接関係ない雑用的なものと思われがちですが、このプロセスをどう活用するかを別の角度から眺めてみるとポジティブな面が見えてきます。

確かに視点を変えるだけでポジティブな行為に思えますね。

私は、このように見方を工夫することで、何でも面白い、役に立つと思えるようにしていくことが非常に重要だと考えています。研究活動というのは本当に地道で失敗の多いもので、サクセスストーリーは決してありません。「未知の何かを切り拓いて、失敗して、立ち直って、また頑張る」の繰り返しなのです。このプロセスを面白くないと思ったら、おそらく前には進めないでしょう。ただ、そう心掛けていても実際には面白くないこともあります。私は何が重要で、何が重要でないかを見極めることを並行して進めています。いくら見方を工夫してみても、重要でないと思ったことは面白くないのです。こうしたことを繰り返す中で、物事の神髄を見極めることは本当に面白いし、神髄が何かを理解できる自分であることや自らが担えるようになることに注力していく大切さを実感しています。
逆に、面白くないけれど重要なこともありますから、何とかして面白くしていく努力も必要でしょうね。例えば、昔私は英語があまり得意ではなく、高校生くらいまでは英語の勉強が嫌で、理数系の勉強ばかりやっていました。しかし、「英語を話すことができれば、さまざまな人とのコミュニケーションを図れるようになる。そのための手段を獲得する」と思った瞬間に、得意ではない勉強への意識が変化しました。勉強の方法が面白くないのであれば、その方法を面白くすれば良いと考えます。英語で何とか意思疎通を図ろうと試行錯誤を繰り返して、下手ながらもコミュニケーションが図れるようになっていくような、こうした努力が必要なのだと感じています。
先日、文部科学省新学術プロジェクトの国際会議がオンラインでありました。OIST(沖縄科学技術総合大学)の銅谷賢治先生が取りまとめていらっしゃる会議で、人工知能関連の世界的な研究者に日本に来ていただく予定だったのですが、残念ながらコロナ禍によって、オンラインの開催になってしまいました。その会議でセッションチェア(座長)を担うことになっていたのですが、まさかオンライン会議になるとは思ってませんでした。日本語でもオンラインの会議はちょっとやりにくいと思っていたのですが、英語でオンライン会議のディスカッションチェアになるのは想定外でした。脳の計算論、今はやりのディープラーニング、生理学の研究者まで多彩なトピックでビデオ講演いただいた研究者のディスカッションをオンラインでまとめるのはちょっと荷が重かったです。座長を務めるということは講演されるすべての方の内容を把握していないといけません。きちんと役割を果さなくてはと思い、事前に講演ビデオを必死で視聴しました。座長担当以外の講演内容も併せて30〜40分26件のビデオを必死で視聴して分からないところを繰り返し見直すということをして、まるで受験勉強のようでした。これはディスカッションを面白いと思ってもらえるように、あるいは白けないようにしなくてはと思って必死になれたのですが、面白くしよう、面白く思ってもらえるように、と考えなければこんなに懸命になれなかったと思います。面白くしようとすることが根底にありますね。

ワクワクと不思議だなと思う感覚を大切にして研究に臨む

猛勉強された達成感が伝わってきます。こうした熱意を保つ工夫はなさっていますか。

実験は地味で大変な作業です。まったく面白くないこともあります。視野の動きに合わせて人の手が動くというお話をさせていただきましたが、この実験を1日中、延々と自分たちでやり続けることもあります。実験パラダイムができて、被験者さんにお願いして、実験を繰り返す。この作業そのものはまったく面白いと思えなくても、この実験によって分かったことが何につながっているのか、いったい何が分かるのだと、「ワクワク」を心に設定するのです。目の前にある大変なことだけを見ていてはつらくなるだけですが、その先にある成果を考えればきっと楽しくなるはずです。
また、研究者は自分がオーソリティだと思ってしまったら、その瞬間に研究者ではなくなるとさえ思います。研究分野には常に未知のことがたくさんあるから研究するのであり、そこに面白さがあるのです。そのためにも、分からないことに常に真摯に向き合うことが重要だと思います。興味の対象を明らかにしていきたいという熱意があるうちは頑張っていけると思います。
この熱意を保つために、私は内発的動機付け、興味を持つことをとても大切にしています。それから、隣接する領域の研究者の方と頻繁にディスカッションしています。面白いと思う感覚や事象、トレンド等、話すたびに、コミュニケーションを図ることの重要性を実感しています。そして、不思議だなと思う感覚も大切にしています。脳の情報処理を研究していると、日常のふとした瞬間に面白いなと思うことがあるのです。例えば、前回のインタビューで体験していただいたエスカレータの実験です。停止しているエスカレータに乗った瞬間に違和感を覚えたときに不思議だと感じ、これにはどういう脳の情報処理がかかわっているのだろうと考えを発展させていく、妄想することがとても重要なのです。
また、「ぶるなび」の引っ張られている感覚についても、これはどういう脳の情報処理でこの感覚が生じるか、どんな刺激を与えると良いのかと深堀をしていくことで、適切な問題設定に結びついていき、それが研究成果に発展していくのです。私たちの研究の対象は日常に近いところにあるので、こうした疑問を持ちやすいのかもしれません。これが宇宙等、別の研究テーマだったら今の私には難しいかもしれませんが、きっとそれを専門にしている人は、それが面白くできるのだと思います。

後進に向けて一言お願いいたします。

「仕事」というと、ネガティブなイメージを持つ人がいますが、「やらされる感」で動いていては何もうまく回らなくなってしまうのでは、と思います。もしそんな気持ちになったら、私は仕事の面白さや熱意など、気持ちがポジティブな方向に向くように発想転換する努力をしてほしいと願っています。ポジティブな気持ちになることで、皆さんが手掛けている研究が、「寝食を忘れて夢中になる」「ガムシャラに、無理をしてでもやりたい」と思えるようなものであってほしいと願っています。先ほどお話しした「面白いものにしていく」ということは、研究対象に夢中になることにつながっていきます。
むろん実際には、無理しすぎたら身体を壊しますし、頑張りすぎると追いつめられてしまうこともよくある話なので、こうした部分には気を使っていくことは重要です。しかし、特に若いときは、がむしゃらに頑張る期間もあっていいと思います。ただしずっとオンでは参ってしまいますので、オフもちゃんととるようにしてほしいです。あと、研究という職で難しいと思うことは、自分の勉強と仕事との切り分けです。切り分けがうまくできる人もいると思いますが、私は下手なほうかもしれません。つい没頭してしまうんです。ただ、研究では常に新しいことを学んでいかないといけません。こういうことを言うとプロ失格と怒られてしまうかもしれませんが、仕事のしすぎだよと言われても、いや面白いから勉強しているんだ、と心から思えるようになってほしいです。無論、馬力をかける一瞬はきついこともありますが。自己研鑽と思って頑張ってほしいですね。
もう1点、研究者を取り巻く環境変化についても触れておきたいと思います。インターネット等、便利なツールが増えたことで研究のスピードが上がっていることを実感しています。かつては、図書館で探したり数週間かかって取り寄せたりした論文も、今ではインターネットを介して即座に読めるし、自分の知りたいことをすぐにネットで調べられるようになりました。ですが私は早さよりも、本質的な問題を考えることを心掛けて研究を進めたいと考えています。私は不器用なので、論文を出すスピードは海外の研究者と比べて遅いかもしれませんが、拙速に問題を解決しようとしていて本質的な問題解決に至らない例を見ることも多く、私自身は問題の本質は何かを見極めるのに時間をかけるようにしています。オリジナリティのある面白い研究に時間を取らせてもらえる環境がNTTの基礎研究所にはあります。私は素晴らしい同僚の存在も含めてとても恵まれていると感じます。素晴らしい同僚や国内外の共同研究者、またより広く社会に「面白い」と思ってもらえる研究をしたいと思っています。
私は、夏目漱石が使った「則天去私」という言葉がとても好きです、というか心掛けたいと思っています。これは、小さな自分にとらわれず、身を天地自然にゆだねて生きていくという意味です。私も含め人は弱いもので、どうしても自分中心の視点にとらわれてしまいます。他人の視点で、社会の視点で、天からの視点で、といろいろ視点を移して考えることで、ものごとのさまざまな側面がみえてきて、面白さ、楽しさを見つけられるようになると思います。研究はうまくいかなくて悶々とすることも少なくないですが、楽しく、そしてプレッシャーを感じすぎないように取り組んでほしいと思います。