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特別連載

ムーンショット・エフェクト──NTT研究所の技術レガシー

第9回 バリアフリー道案内技術 MaPieceⓇ(まっぴーす)

ノンフィクション作家の野地秩嘉(のじつねよし)氏より「ムーンショット・エフェクト──NTT研究所の技術レガシー」と題するNTT研究所の技術をテーマとした原稿をいただきました。連載第9回目は「バリアフリー道案内技術MaPieceⓇ(まっぴーす)」です。本連載に掲載された記事は、中学生向けに新書として出版予定です(NTT技術ジャーナル事務局)。

■光技術を応用する技術のひとつ―MaPieceⓇ

NTTは光技術の実用化で大きく前進する技術サービスを開発している。生体信号を計測するhitoe®ウェアもそのひとつだし、超高臨場感通信Kirari!もそうだ。宇宙通信、AI音声認識もそうだ。
そのなかで、今回、取り上げるのがバリアフリー向け道案内技術のMaPiece®(まっぴーす)である。
NTTサービスエボリューション研究所が開発したバリアフリー向け道案内技術MaPiece®は3種類ある。
① 測ってMaPiece
② みんなでMaPiece
③ 歩いてMaPiece
前2者はタブレットを使い、「歩いてMaPiece」はスマホアプリだ。いずれの技術も特別な知識がなくとも、誰でも容易にデータ収集できる。
収集するデータは段差、階段、道路の幅員、そして、障がい者が利用できるトイレ施設の有無などである。
開発に協力したNTTクラルティに所属する髙橋さんに尋ねた。
こうした情報を集めたマップはこれまでにもあったのではないか、と。
彼は「ええ」と、うなづく。
「似たようなバリアフリー情報は紙の地図でも、いろいろあります。見ていると、各自、自分にとっていちばん使い勝手がいいものを選んで使ってます。僕らが作っているMaPiece®は国土交通省(国交省)のガイドラインに沿って、情報を入力していくようになっています。加えて、実際の写真、周りの障害物も登録しているので、これまでのものよりわかりやすいと思います。僕自身、仙台、福岡、埼玉、大阪、東京都千代田区、横浜など、7か所くらい、データ収集しているんですけれど、日本にはまだまだバリアは多いなあと感じています。普通の道路だとそれほどの段差、傾斜はないのですが、食事を摂るために建物に入っていく時に段差、階段があります。そういうケースが重なると、外出するのが嫌になりますね」。
バリアが多い少ないはその国の成熟度を表しているのではないか。そして、多様性を容認しようと思えば当然、バリアをなくす努力をしなければならない。けれども道路を平らにしたり、階段をなくしてエレベーターやエスカレーターを取り付けるには多くのコストと時間がかかってしまう。そこで、道路整備を進めながら、MaPiece®というデータ収集技術を普及していく必要がある。

■さまざまな問題

3種類のMaPiece®の開発そのものを担当したのはNTT研究企画部門の深田聡、NTTサービスエボリューション研究所の小西宏志、寺中晶都(さやか)の3人を中心としたチームだ。
深田は「なぜMaPiece®を開発したのか」について、説明を始めた。
「車いすの方々含めたさまざまな方々の移動において、どういう道を通っていけば行きやすいかといったナビゲーションサービスには『これだ』というものがありませんでした。しかし、ニーズはあったのです。
2013年に、東京2020オリンピックパラリンピックの招致が決まり、様相が変わりました。多くの観光客の方々が来日しますから、当社としても何か取りかからなければいけないとなったわけです。
そこで、私はまずNTTの本社がある大手町から東京駅のあたりを真剣に歩いてみました。すると、東京駅という東京のど真ん中なのに、段差や階段がたくさんあって…。歩いていたら、ベビーカーを押していたママさんが途方に暮れていたので、ベビーカーを抱えて階段を降り、地下通路まで降ろしたこともあります。東京駅の地下って、もっともっと整備しなければ海外からお客さんを迎えられないと思いました」。
繰り返すようだが、バリアフリーのマップはすでに存在していた。ただ、マップを作製すること自体がビジネスになるわけではなかったので、本格的なそれができなかったとも言える。
そして、バリアフリーマップとは謳っていても、ルートを示すというより、「車いすの方が使えるトイレがあります」「この店は車いすの方が入れます」といった施設情報が優先されているものがほとんどだった。施設情報を集めるのはさほど難しくはない。一方、施設へたどり着くまでの道路の幅員(道路幅)とか傾斜についての情報は調べるのに手間がかかるので、ルートマップは多くはなかったのである。
幅員、傾斜、段差といった情報を集めるには測量技師などプロの力を借りなければならない。さらに、道路は拡幅されたり、舗装の程度が変わったりするので、定期的に情報収集しなければならない。どうしてもコストがかかってしまうのである。
さらに、さまざまな問題が加わる。
通行情報は必要とする人の障がいの程度によって、通ることのできる条件が異なってくる。つまり、介助者が押す車いすに乗っている人は手動の車いすよりもきつい傾斜の坂道を登っていけるのである。また、段差があっても、介助者が押すパワーで乗り越えてしまう。
MaPiece®の開発にあたって、深田たちは障がいの程度、種類を分けて考えることにした。まずは手動の車いす、介助者がいる車いす、ベビーカー、杖で歩く人の4種類に分けたのである。
手動の車いすに乗る人にとってのバリアは多い。階段、2センチ以上の段差、5パーセント以上の傾斜、1メートル未満の幅員だった。なお、5パーセントの傾斜とは100メートル進んだ時、5メートル上がる、もしくは下る道の傾斜で、普通の人にとっては緩い坂道と感じる。
介助者がいる車いすの人の場合は階段と1メートル未満の幅員がバリアだ。段差は8センチまで大丈夫だし、傾斜も10パーセントまでなら何とかなる。
ベビーカー、杖の人については図を見てもらうことになるが、つまり、バリアとは人によって違うので、1枚の紙の地図に記載するとなると、非常に煩雑になってしまうのである。
もっと言えば、車いすやベビーカーにもいくつもの種類がある。手で押すものだったり、電動だったり、軽量のそれだったり…と種類が分かれる。ベビーカーだって双子が乗っているものもある。紙のバリアフリーマップでは、そうした多種類の条件や道具について、すべてを記載することは不可能なのである。
深田は付け加えた。
「新型コロナが蔓延する前までインバウンドの方たちがどんどん増えていました。なかには障がいのある方もいらっしゃいました。紙のマップでしたら、言語ごとに作っていかないといけない。それもまた無理です。ところが、デジタルデータであれば使う言語に合わせて容易に情報を出すことができます。それで、私たちはさまざまな方に合わせデジタルデータを多言語で作ることを前提にしてMaPiece®の開発に着手したのです」。
深田たち開発者の話を聞いていると、ビジネスのために開発したというよりも社会貢献のための仕事だと感じる。

■3種類が必要だ

3つの技術について、まとめておく(図)。
何よりも重要な点はプロ向けの仕様ではなく、誰でもがすぐにデータの収集を始めることができる。特に、3番目の「歩いてMaPiece」はその名の通り、スマホのアプリを起動してルートを歩けば階段があるとか2センチ以上の段差があるといった情報を収集できる。
深田の説明は次の通りだ。
「私たちはICT(情報通信技術)のツールを作って、ボランティア、一般市民がデータを収集できるような形にすることが必要だと思いました。たとえばプロなら段差を精密に測ります。ですけれど、1。75センチという値を計測しなくても、2センチより上か下かだけわかれば実はナビゲーションのためには有効なんです。
車いすに乗る人にとっては段差が2センチより上なのか、下なのかが分かれ目ですから。そういった簡易的に集められる仕様を作り、国交省の基準に協力しました。それが2015年でした。そして簡易化した仕様に合わせたICTツールを作ったのですが、それが『測ってMaPiece』です」。
情報収集ツールのコンセプトはできた。しかし、実際にそれを使ってみる段になってみると、道路、スロープ、段差というのは思った以上のバリアだとわかったのである。
一緒に開発をしていた小西が「私たちは何も知らなかったんです」とちょっと恥ずかしそうにつぶやいた。
「実際に車いすの人と一緒に街を歩くと、健常者が何気なく歩いているようなところでも、えっと思うようなバリアがあるんです。
歩道はどんな道でも、雨が降ったら水を側溝に流すために微妙に傾斜をつけてあります。自分で車いすを押してみるとわかるんですけど、歩いているうちにだんだん道路の端っこに寄っていくんですよ。傾斜度にすれば1パーセントなり2パーセントぐらいの角度であっても、自然に端に寄っていってしまう。車いすを押しながらけっこう怖い思いをしました。駅のホームだって同じです。道路よりもさらに怖いです。線路の方に寄って行ってしまうのですから。
押すだけではなく、車いすにも自分で乗ってみました。
慣れないと怖いです。視線が思ったより低いから、人を見上げるという風になってしまい、首が疲れます。
そして、夏場は暑いんです。道路の輻射熱を直接、感じます。
つらかったのは段差よりもむしろ路面状態でした。どことは言えませんけれど、道路がきれいなタイル張りになっていたりするところがあります。見た目はきれいなんですが、路面がガタガタだから、体が振動する。そして、タイヤがタイルの隙間にはまり込んで、抜けない。ヨーロッパの石畳なんて車いすには無理です。
ただ、ヨーロッパやアメリカは車社会なので、車いすを車に積んで移動して降りるという形になっています。日本と海外とは同じ車いすの移動でも状況は違うわけです。
車いすに乗っている方々に聞くと、健常者が集める情報はバリアがある場所ばかりだけだと言うんです。
彼らが知りたいのは『バリアがどこにあるか』ではなく、『どの道が通れるかなんだ』と。いや、恥ずかしい思いをしました。考え方が逆だったんです。バリアは見つけても、それをマップに載せなくていいんです。通れるルートをわかりやすく見せた方が使う人にとっては便利だし迷うことがないんです」。

■3種類を上手に使う

西武多摩川線 多磨駅近辺で行われたデータ収集では参加者は3種類のMaPiece®を使っていた。
「測ってMaPiece」はタブレットに地図が表示してあり、調査する道路が載っている。歩きながら、道路の幅員、段差を記録していく。
測った数値そのものを入力するのではなく、段差が2センチ以上か、以下かを選べばいいようになっている。紙の地図に手で書き込むのではなく、入力さえすれば自動的にデータとして整理される仕組みだ。
「みんなでMaPiece 」はスマホ向けのツールだ。データ収集イベントに参加しなくとも、仕事や私用で移動する時にタブレットを使ってバリア情報を投稿すればいい。道路工事をやっていたり、段差が解消されたのを見たら、すかさず投稿すればマップの情報が更新される。
ただ、誤った情報を入力する場合もあるので、MaPiece®にはユーザやコンテンツの信頼度に基づいて正しい投稿を抽出する機能が備わっている。
「みんなでMaPiece」は参加する人が増えれば増えるほど情報が多くなり、また、正確度も上がる。この存在を宣伝して参加者を増やすことも深田たちの仕事だろう。
小西は「その通りです」という。
「『みんなでMaPiece』は日常的に使う、普通のスマホアプリにしたのは集めた情報を参照できるようにしたかったからです。そのためには障がい者の人たちだけでは人数が少ないので、一般の人にも使ってもらわなくてはなりません。
その時ですけれど、ボランティア精神に訴えるだけではなく、いつかあなたも必要になるツールなんですよと伝えることにしています。
実際、高齢化社会ですから、私たちもいつかは杖を持って歩くことになる。将来的には自分自身に返ってくるデータだというと、みなさん、うなづいて積極的に参加してくださいます」。
「歩いてMaPiece」はアプリを起動したスマホを持って歩けばいい。スマホのセンサが移動中に情報を読みとって、どこに段差があるとか、傾斜がどこにどれくらいあるかを自動的に収集してくれる。
ただ、段差、傾斜はわかるが道路の幅員は「歩いてMaPiece」では収集できない。それを補うために、NTT 未来ねっと研究所が航空写真と地図から道路の幅員や横断歩道などの歩道の形状情報を自動生成する技術を追加し、データを補正している。
それにしても、深田や小西がトライしたように、バリアフリー技術は自らが車いすに乗ってみたり、多機能トイレへ車いすで入ってみたりという実践がなければ情報の価値を判断できない。
「いつかは自分も段差やきつい傾斜の道を歩くのがつらくなる」と自覚して、参加するといい。バリアフリー情報は決して他人事ではない。

■大勢が参加してくれている。しかし、まだ足りない

3つのMaPiece®を使ったデータの収集だがオリンピックパラリンピック等経済界協議会と連携し、延べ参加人数で約1900人以上、調査距離は700キロメートル以上の歩道をカバーしたことになる。
なお、主にデータ収集したエリアは東京2020オリンピックパラリンピックが開かれる予定の競技場とラグビーワールドカップが開かれた競技場の周辺地区に過ぎない。日本のなかのほんのわずかな地域の情報を集めただけだ。
日本全国にある道路の総延長は 1,279,651.9 キロメートル (2018年現在)。また、江戸時代に地図を作成した伊能忠敬が歩いた距離は約4万キロ。4万キロとはだいたい地球を一周した距離である。
私は3つのMaPiece®を完成させるのは伊能忠敬がやった偉業に比すべきプロジェクトだと思う。ただし、まだ歩いた距離は少ない。
100万キロのデータを収集しようと思えば10年、20年でも足りない。4万キロを完成させるには大勢の力を結集しなくてはならない。そのためにはボランティアに加わってもらうことだ。
そして、ボランティアを増やすには「令和の伊能忠敬を求む」くらいの大げさなコピーで宣伝しなくてはならない。
深田たちもそれはよくわかっている。
彼は言う。
「伊能忠敬は自分で集めたんだから、それはすごいことです。ただ、我々は、みんなの力を結集しなくてはいけない。まだ700キロです。しかし、それでも世界では稀です。これほど正確で、しかもICTで集めているバリア情報はどこにもありません。
また、この情報は一度、収集したらそれでおしまいではありません。つねに最新の情報にしないと使えません。持続的にどうやって整備していくかも大きな課題です」。
日本のあらゆる道とまではいかないけれど、主要な道についてデータを収集することが第一の目標だろう。さらに、それを継続的に更新していかなくてはならない。加えて、彼らが取りかかっているうちに、あらたにわかったことがある。
それは季節の情報だ。
北海道や東北に住む障がい者が望む通行情報とは階段、段差だけではなく、冬に道路が凍結してしまい、滑りやすくなっているところだ。
集めるとなると、担当者は冬の間、北海道、東北各地へある程度の期間、暮らしてみなければならない。そして季節だけではない。災害が起こると通れなくなる道が出てくる。そういう場合は緊急にデータを集めて、知らせる機能を付加しなければならない。
道案内アプリの開発はいったん、取りかかったらやめられない仕事だ。この仕事には終わりがない。

■これがあれば外に出たくなかった人たちが安心して出られるようになる

チームの一員である寺中は「私も実際にデータを収集していて気が付いたことがあります」と言った。
「障がい者の方は出かける前にみなさん、すごく詳しく調べるんです。私たちだって乗換案内のアプリを使っていて、駅へ行ってみたら、書いてあるよりもホームとホームの間の距離が長くて乗り換えができなかったなんてことがあります。
障がい者のみなさんはもっと丁寧に調べます。乗り換えルートにはエレベーターはあるのか、駅のトイレは車いす対応になっているのか、駅から出てイベント会場までは平坦なルートなのか…。地図やスマホの現場写真を駆使して、すべてチェックしてから初めて出かけていく。もっと言えば、予行演習して出かける人もいます。現場の写真を見れば坂の傾斜もある程度、わかりますからね。
ただ、そこまでやるのってものすごく手間がかかる。そこまでやって、行けないとわかったら、自信をなくして外に出ること自体をあきらめてしまったり…。
個人個人の障がいの程度が違ってますから、『ここはバリアフリールートです』と書いてあっても、自分にとっては通れなかったみたいなこともあるんです。ひとつのルートだけが提示されていても実際には使えません。それで外出に対してトラウマみたいになっている方もいらっしゃいます。
私はなるべく多くの行けるルートを載せたマップにしたいです。見ているだけで外出するのが楽しくなるようなマップにしたいんです。あれもダメだ、これもダメだではなく、安心して出かけてもらう、積極的に外に出てもらうためのアプリにしたい」。
寺中の話を聞いていると、やはりこの仕事はビジネスの効率を求めているのではなく、限りなく社会貢献に近いと感じる。

野地 秩嘉(のじ つねよし)

1957年東京都生まれ。早稲田大学商学部卒業後、出版社勤務を経てノンフィクション作家に。日本文藝家協会会員。人物ルポルタージュをはじめ、食や美術、海外文化などの分野で活躍中。著書は『高倉健インタヴューズ』『キャンティ物語』『サービスの達人たち』『ニューヨーク美術案内』など多数。『トヨタ物語』『トヨタに学ぶカイゼンのヒント』がベストセラーに。『TOKYOオリンピック物語』でミズノスポーツライター賞優秀賞受賞。近著は『日本人とインド人』(翻訳 プレジデント社)。