ヒトと社会のデジタル化世界 ─ デジタルツインコンピューティング ─
- IOWN
- デジタルツインコンピューティング
- ヒトのデジタル表現
本稿では、IOWN(Innovative Optical and Wireless Network)構想におけるNTTサービスイノベーション総合研究所の取り組みと最新の研究事例を紹介します。本記事は、2019年11月14~15日に開催された「NTT R&Dフォーラム2019」における、川村龍太郎NTTサービスイノベーション総合研究所所長の特別セッションを基に構成したものです。
NTTサービスイノベーション総合研究所 所長
人類は今後、デジタル技術の威力を何に使うだろうか
これからの10年、20年を考えたとき、私たち人類はデジタル技術の発展の威力を何に使うのでしょうか。ご存じのとおりSociety 5.0を代表例として、世界のシステムに大きな転換期が訪れることが予測されており、長く続いた資本主義社会も終焉する可能性も議論されています。モノとヒトに関するデジタル化について、最近の30年から40年の歴史を振り返ってみましょう。1985年ころに電子メールが登場し、コミュニケーションに使われ始めました。このことは、ヒトを中心にデジタル化が発展した、ととらえることができます。その後、1995年ごろよりインターネットが登場し、同時に商品、時刻表、地図のような生活やサービスの向上に直結するモノ情報のデジタル化が加速します。次に2005年ごろよりSNSによるヒトの新たなコミュニケーションの時代が到来し、現在は2015年ごろより、IoT(Internet of Things)とAI(人工知能)によるモノのデジタル化の時代です。このようにデジタル化の近年の歴史を振り返ると、私たちはヒトとモノのデジタル化を交互に繰り返すようなかたちで活用してきたようにみることができます。このような繰り返しから、また最近のIoTの発展状況をみると、今後は、おそらく再度ヒトのデジタル化の順番が到来するものと考えています。また、重要なのは、価値というのは直線・比例的に増加するのでなく、あるところで爆発・非連続的に増える傾向にあるという点で、そろそろその「時」がやってくるのではないかという予測をしています(図1)。最近、デジタルツインという言葉が使われています。ツインとは双子のことで、モノやヒトをデジタル表現することによって、デジタルの威力である、複製、融合・交換、保存・記録を利用することが可能となります。一方で、いわゆるサイロ化といわれるように、これまでのデジタルツインは産業ドメインごとに進展しており、相互の互換性がないことも実情です。
図1 モノ、ヒトに関するデジタル化の進展
デジタルツインコンピューティング構想
これまでのデジタルツインの枠組みは、例えば自動車やロボットなどに代表される実世界の個々の対象をサイバー空間上に写像し、それに対して分析・予測などを行うものでした。また、その分析・予測などの結果を実世界に逆写像することで活用してきました。
この従来のデジタルツインに対し、私たちは、「デジタルツインコンピューティング(DTC)」を提唱し、この実現をめざして取り組みを始めています(1)(図2)。DTCは、これまでのデジタルツインの概念を発展させて、多様な産業やモノとヒトのデジタルツインを自在に掛け合わせて演算を行うことにより、都市におけるヒトと自動車など、これまで総合的に扱うことができなかった組合せを高精度に再現し、さらに未来の予測ができるようになります。また、実世界の物理的な再現を超えた、ヒトの内面をも含む相互作用をサイバー空間上で実現することを可能とする新たな計算パラダイムです。
これは、多様なデジタルツインから成る仮想社会をサイバー空間に構成したり、実世界では単一である実体のデジタルツインをサイバー空間上で複製し、あるいは、異なるデジタルツイン間で構成要素の一部を交換、融合し、実空間には存在しないデジタルツインの生成を可能にするという挑戦です。
もう1つ、DTCの大きな特長として、ヒト、特に個人の内面のデジタル表現に挑戦することがあげられます。ヒトの外面だけでなく内面、例えば意識や思考を表現することによって、ヒトの行動やコミュニケーションなどの社会的側面についても高度な相互作用を行うことができると考えています。また、ヒトそれぞれの個性を表現することで、平均として統計的に丸められた無個性な個体間の相互作用ではなく、個々人の特徴を踏まえた多様性に基づく相互作用が可能となるでしょう。
これらの特長により、多様なモノやヒトどうしが、実世界の制約を超えて高度な相互作用を行える仮想社会を創生できると考えています。
図2 デジタルツインコンピューティング構想
ヒトのデジタル表現
DTCにおけるヒトのデジタルツインは、身体的・生理学的な特徴といったヒトの外面に関するデジタル表現だけでなく、意識や思考といった内面のデジタル表現ができることが重要です。この難しい目標を達成する手段として大きく2つのアプローチがあると考えています。1番目の方法は計算機を用いてに私たち人間の能力を模倣し、それを繰り返しながら「より人間に近づけていく」方法です。例えば音や声を認識する技術や会話によりコミュニケーションする技術がこの方法で進展している代表例です。2番目の方法はいわば究極的な方法で、私たち人の脳や身体を生理学的に解明し、その結果を計算機に転写する手法です。近年脳神経科学を代表するこの分野は大きく進展しており、工学的に利用可能な研究成果も生まれています。私たちはこれら2つのアプローチのそれぞれ優れた部分を利用し、ヒトのデジタル化の目標に向かうことを考えています(図3)。
次に、NTT研究所がこれまで取り組んできた1番目のアプローチについて、いくつかの技術を紹介します(図4)。
音声認識
聞く技術としては、ヒトの声をいかに精度良く認識するか、というもので、NTT研究所では半世紀にわたって研究を進めてきました(2)。最初は単語レベルや明朗に読み上げた文章の認識から始まり、2010年ごろからはヒトの自然な発話を精度良く認識できるようになり、コンタクトセンタでの活用が進んできました。現在では、最新のニューラルネットワークを導入して、いよいよヒトの音声認識の能力に近づいてきました。
音声合成
発話する技術としては、文字情報を、どれだけヒトの声らしく自然な音声に変換するか、というものです。 これには文脈に沿って漢字の読み方を判別するテキスト解析処理や声の高低・スピードを適切に付与して音声信号を合成する処理などが含まれます。1990年ごろから電話の自動応答などで活用され、キャラクターやロボットの発話にも使われています。現在では、話者の音声データからディープラーニングによって自然かつ多様で、肉声感のある声の合成を実現しています。
感情・意図の理解
相手を理解する技術としては、例えばコンタクトセンタのオペレータと顧客との通話から、顧客が不満を持っているかどうか、怒っているかどうか、の検知から、顧客の性別、感情、緊急度を識別することまで、さまざまな取り組みを行っています。現在では、声の大きさや高さだけでなく会話のリズムや言葉遣いなどの情報から、一般には推定が困難なコールドアンガー(静かで冷静な怒り方)の検知や、不満よりも特徴が現れにくい満足感情の高精度な認識を実現しています。
図3 ヒトのデジタル表現と2つの主なアプローチ
図4 ヒトのデジタル化~音声からのアプローチの進展~
レイヤ構造と“砂時計”構造
DTCの技術やアーキテクチャの検討を進めていくうえで、レイヤ構造に“砂時計”の構造を追加できるか、ということが重要になります(図5)。レイヤ構造の中間に「共通層」を設けることで、イノベーション機能を高めることができます。その代表例としてインターネットがあげられ、IP層を共通層に据えることで下部のネットワーク層と上部のアプリケーション層がうまく融合して機能しています。私たちは、DTCにも、この共通層である、くびれの部分が必要と考えています。これは、DTCのアーキテクチャにおけるデジタルツイン層が担う部分になります。デジタルツイン層は、実空間からさまざまにセンシングしたデータから生成されるデジタルツインや、デジタルツイン間の演算を通して生成される派生デジタルツインを保持します。これらの保持されたデジタルツインは、さまざまな仮想社会を構築するための基本的な構成要素になります。
図5 発展の梃子:「レイヤ構造」×「砂時計」
大量の演算を支える技術
サイバー空間上で多くのヒトのデジタルツインが議論をした結果を実空間にフィードバックして意思決定に反映するには、これまでの計算機の能力をはるかに超えるコンピューティング技術が求められます。この大量のコンピューティングを支える技術の一例として、光イジングングマシンLASOLV®の研究開発を進めています。LASOLV®は、特殊な光パルスを用い、それらパルスどうしが相互作用によって物理的な安定状態となることで、組み合わせ最適化などの解を得ようとするものです。この技術は、従来の計算機に比べて桁違いの高速処理が期待できます。私たちは、LASOLV®をPython言語で簡単に使えるミドルウェアの開発も進めています(3)。
デジタルツインコンピューティングのユースケース
デジタルツインコンピューティングは図6のようにさまざまなスケールで活用できます。具体的には、以下の活用が期待されます。
① ヒトのデジタルツインによる高速・並列の議論・意思決定
② 危機克服の経験ある過去のリーダーによる国家的難題解決
③ 交通など社会インフラとヒトのデジタルツインの統合による都市の精緻なデジタル化
図6 ユースケース
デジタルツインの掛け合わせによる価値爆発に向けて
私たちは、社会科学、人文科学などを含めた幅広い学際的なパートナーとともに、DTCを真に有用なものにしていこうと考えています。さらに、DTC構想の実現に向けては、多様な産業界とのコラボレーションも重要です。今後、私たちはパートナーを開拓するとともに、多くの知恵を集めながらこの未踏の分野における研究開発を進め、未来社会を切り拓いていきます。
■参考文献
(1) https://www.ntt.co.jp/news2019/1906/190610a.html
(2) 大庭・田中・増村:“進化を続ける音声認識エンジン「VoiceRex®」、”NTT技術ジャーナル、Vol.31, No.7, pp.9-11, 2019.
(3) 新井・八木・内山・冨田・宮原・巴・堀川:“イジング型計算機による組合せ最適化のためのハイブリッド計算基盤、”NTT技術ジャーナル、Vol.31, No.11, pp.27-31, 2019.
問い合わせ先
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