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特別企画

2021世界的スポーツイベントとNTT R&D:カテゴリ 選手を『支えた』NTT R&Dの技術

女子ソフトボール × スポーツ脳科学

意識に上るよりも短時間の判断や動作が勝負のカギを握ることが多いスポーツの世界。NTTコミュニケーション科学基礎研究所柏野多様脳特別研究室では、その特殊なシーンで発揮されるアスリートの潜在脳機能に焦点を当てて研究を進めています。2021年に行われた世界最大のスポーツイベント(大会)で金メダルを獲得した女子ソフトボールチームとNTTは、学術的な研究と並行し、これらの知見を活かした勝負に勝つための実戦的な取り組みを進めてきました。

山口 真澄(やまぐち ますみ)/那須 大毅(なす だいき)
三上 弾(みかみ だん)/木村 聡貴(きむら としたか)
福田 岳洋(ふくだ たけひろ)/柏野 牧夫(かしの まきお)
NTTコミュニケーション科学基礎研究所

取り組みの背景

ソフトボールのバッティングのシーンに現れるような瞬時の意思決定をはじめとして、スポーツの試合では本人も自覚できない「潜在的」な脳機能の働きが勝負のカギを握ります。2017年1月にNTTコミュニケーション科学基礎研究所に発足したスポーツ脳科学プロジェクト(2019年7月より柏野多様脳特別研究室に改称)では、トップアスリートの優れた潜在脳機能を解明して勝つための要因を特定し、それに基づいて実際にアスリートのパフォーマンスを向上させることをめざして研究を進めてきています(1)(図1)。野球・ソフトボールでは、日米のプロ野球球団、社会人野球チーム、大学野球チーム、日本ソフトボール協会(女子日本代表)、日本女子ソフトボールリーグに所属する実業団チームなどのご協力をいただいており、本当のトップで勝負するアスリートの特別な能力や特徴が明らかになってきました。
日本ソフトボール協会とは、ソフトボールのトップ選手や若手選手の実験的・実戦的な計測を実施するために2017年10月に共同実験協定を締結しています。この共同実験協定に先立って、2016年8月3日には女子ソフトボールが世界最大のスポーツイベント(大会)の正式競技としての復帰が決定しました。学術的な研究と並行し3年後に迫った大会での金メダルをめざして、「“脳を鍛えて”ソフトボールで勝つ」を実現するべく、日本代表チームと協力した実戦的な取り組みを行ってきました(2)。本稿では、大会での金メダルに向けた日本代表チームとの取り組みを中心に紹介します。

ソフトボール日本代表チームとの取り組み

2016年8月にソフトボール協会の強化副本部長(当時)矢端信介氏が初めてNTT厚木研究開発センタにあるスポーツ脳科学実験棟に来訪されました。初めてお会いしたときから、「金メダルのためには“米国の動く速球”への対策が一番の課題」と述べられていました。
2016年9月には群馬県の高崎市でジャパンカップが開催され、日本代表、米国代表など4カ国の代表チームによる国際試合を見学しました。その後も日本代表が出場したほとんどの国際試合に赴き、日本代表チームの情報班の一員として映像撮影などを行いました(図2)。試合撮影での主な目的は、相手投手の特徴をつかむことです。投手の癖を分析するための素材として、さまざまな角度から投球フォームを撮影したり、投球される球の特徴を抽出するために、ハイスピードカメラを用いてバックネット裏から投球を撮影し、回転軸と回転数を抽出する球質分析などを行いました。
このような、相手チームの分析と並行して、強化合宿にも参加して日本代表選手の撮影や計測も実施しています。選手強化のサポートとして、数秒遅れで自身の投球や打撃の映像を再生する遅延再生映像を用いたフィードバックや、前述した試合での撮影と同様の技術を用いて投手の球質分析などを行いました。こうしたサポートを行う一方で、選手に協力いただき研究用のデータ計測も実施しています。2017年12月の沖縄強化合宿では、若手からトップまでの全世代の代表選手が一同に集いました。ここでは、各世代の選手の実戦形式およびVR(Virtual Reality)を用いた打撃判断の計測を行いました。2019年6月には長期強化合宿に入る直前の2日間、日本代表選手19名がNTTの厚木研究開発センタに来訪し、バッティングでの視線や、運動、認知課題など計測を実施しました。これらの結果は研究データとして解析するとともに、選手にフィードバックを行っています。

トップ選手に備わる特殊な能力

女子ソフトボールにおける投手の投球距離は13.11mでおおむね野球の3分の2です。米国の投手の球速は72-118km/hで縦横に変化するライズボールやドロップボール、カーブ、シュートに加えてタイミングをずらすチェンジアップなどを投げ分けてきます。変化の大きい投手ではライズボールとドロップボールでの変化量の差は80cmにも及びます。一方で、投手のリリースから打者に到達するまでの時間は0.4秒程度しかありません。この短い時間の制限の中で、打者はボールに対応してバットで打たなければならないのです。これは、いくらスイングスピードだけ速くても限界があります。優れた打者には、この特殊な環境に対応する能力が備わっていることが分かってきています(3)、(4)。
このような速くて動くボールに対応するために、選手が取り得る対策としてはいくつか考えられます。まずは、投手の配球を読むことです。個人差はありますが、打者は配球を読んで、ある程度狙い球を絞って打撃に臨むのが一般的です。次に、投手の癖をつかむということも対策になり得ます。例えば、「この投手はライズボールを投げるときには、セットポジションの手首の位置が違う」というようなことがあらかじめ分かっていれば、そのライズボールに絞って打撃に臨むことができます。このような、はっきりと分かる投手の癖は言葉や映像を使ってチームで共有することができます。
一方で、投手の癖ははっきり説明できるものばかりとは限りません。女子ソフトボール日本代表チームの主将山田恵里選手に関して、とても興味深いお話を聞きました。山田選手は本人も公言されているとおり、相手の配球を読んで打つタイプのバッターですが、ベンチから投手を見ながら、次々に球種を言い当てるらしいのです。ただ、何からそれが分かるのかがいつもはっきりしているとは限らず、なんとなく分かるということが多々あるのだそうです。どこが違うのか・何が違うのかということが分かっていなくても、結果として、どの球が来るのかが推測できていれば、これは打撃に活かすことができます。
さらに面白いことに、どの球が来るのかが分かっていないつもりでも、実際の打撃では対応できている場合があることが、VRを使った実験から示唆されています。VRに実際の投手から計測したモーションを組み込み、打者にはランダムに投げられるチェンジアップと速球を打ち返すように実際にバットを振るという課題を与えます。打者の腰にセンサを付けて、スイングのタイミングを計測します。このとき、VRですので、速球とチェンジアップのフォームと投じられる球種の対応関係を入れ替えることが可能です。このような入れ替えを行ったとき、フォームと球種との対応関係が正しければしっかりタイミングをとってスイングができているのに、入れ替えるとタイミングをとり逃すことが増えるという結果が得られました(5)。ここで、興味深いことは、選手自身は、投手のフォームの違いは見分けがつかない、すなわち、フォームからはどちらの球が来るのかは分からない、と言っていて、さらに、実験後にも投手のフォームが入れ替えられたことにも全く気付いていなかったということです。自分では分かっていないつもりでも、実際の打撃動作では無自覚のうちに投手のフォームの情報を使って対応している場合があるということです。
このような予測は、映像やデータを使っても他人に説明することができないため、チームで共有することができません。しかし、このような能力を多くの選手が獲得できれば、チームの打撃力は向上します。

能力を鍛える

宇津木麗華ヘッドコーチ(宇津木ヘッド)は選手として臨んだオリンピックシドニー大会では、宿舎で相手投手の映像を何百回も繰り返して観て、イメージトレーニングをして研究したのだそうです。2017年5月に厚木に来訪され、NTTでVRでの打撃シミュレーションを体験されたときから、米国投手の対策としてとても興味を持っていただきました。
以降の強化合宿では、それまでに撮りためた対戦国の投手の映像と軌道を用いたVRを何度か持ち込みました。しかし、VRには課題もありました。遊びで使うゲームのレベルであれば、VRの映像と実際に振るバットとを連動させることもできますが、VR空間の投球とリアルなスイングとの間には、まだ時間や空間的な誤差があり、実際のスイングが適切であったかどうかを正しく評価できないため、選手の練習として使用するのには限界がありました。また、その精度を追求すれば、センサなども大掛かりで、VR機材の設置場所の問題や、選手の準備でも負担が大きくなり、実際に練習に使用するハードルは高くなります。2017年ごろのVRのヘッドセットはPCと接続するタイプが主流でしたが、2019年になるとヘッドセットのみで動作する機種が普及しました。このような機種だと、ホテルの個室で選手が個々に利用することが可能です。これを大会の選手村宿舎に持ち込んで使ってもらうつもりで、準備を進めていました。一方、宿舎内で見られれば、場所の問題はなくなりますが、機能としてはほぼ見るだけに限られたものになってしまいます。3Dの軌道を確認できるところは、ビデオを見るよりは優れているけれども、それが選手にとってどれほどのメリットになるのか自信が持てませんでした(図3)。

“秘密兵器”ナスマシン

VRに加えて、バッティング練習用のシステムとして期待していたのが仲間内でナスマシンと呼んでいたピッチングマシンでした。これは、変化球の投げられるピッチングマシンに投手の映像を組み合わせたもので、外見のイメージは投手の映像がついたバッティングセンタのピッチングマシンと同じです。柏野多様脳特別研究室では、野球の打撃計測において実投手では実現できない条件、例えば同じ投手で左右を入れ替えた際の打者の知覚を調べる実験などをこのようなマシンを用いて行っており(6)、ソフトボールでも同様の実験をするために、球速だけでなくボールの回転も変えてさまざまな球種を投げることができるピッチングマシンを持っていました。このソフトボール用のピッチングマシンとVRで使用する投手の映像を組み合わせれば、実際に打撃のできる練習システムができるのではないかと考えました。2019年の厚木合宿の最後に、私たちの実験室で組み上げたソフトボール用の映像付きピッチングマシンの試作品を選手に披露し、実際に練習にも使えそうな感触を得ました(図4)。
一方で、このマシンも実際の練習で使ううえでは課題がありました。一番の心配はVRと違って、装置が大掛かりになり、設置場所が確保できるのかということです。投手の映像はプロジェクタで投影することになるため、屋外では相当高輝度なものが必要です。また、屋外で使用する場合には雨天などに備えた対策も必要になります。また、代表チームの練習はマシン打撃だけではないので、全体練習をするグランドからのアクセスも重要です。厚木の研究所に設置しても、合宿所から遠く、本番前に選手が来訪する時間をつくれないため、意味がありません。
2019年、高崎市にソフトボール専用の競技場UTSUGI STADIUMが建設され、ここで、大会本番直前の強化合宿が行われることが決定しました。この施設の一角には雨天用の屋根付き練習場が整備されました。屋根付きの練習場は、マシンの設置場所としては好適ですが、横はネットで囲われただけの半屋外のため、外から入ってくる光で投手の映像が十分に見えるのかが心配の1つでした。もっと現実的な問題としては、雨天時の重要な練習場をこのマシンが占拠してよいのかという心配もありました。このマシンがどれほど使われるのかは、このときは全く見通しがありませんでした。
コロナ禍の影響で2020年に行われる予定だった世界最大のスポーツイベントは1年延期になり、当初は2020年4月に予定していた下見も延期して、2020年11月にプロジェクタを車に積んで現地試験に行きました。このときは、宇津木ヘッドと一部の選手のほか、日本ソフトボール協会の三宅豊会長、宇津木妙子副会長、矢端信介強化本部長、山路典子コーチなどが直接映像の見え方などを確認され、この場所で十分使えそうであるという手ごたえをつかみました。
投手の映像は、VR用に用意していたものをそのまま使うことができました。一方で、軌道についてはVRと違ってピッチングマシンでは完全には復元できません。具体的には、私たちが用いているのが3ローラ型のピッチングマシンで、物理的な構造上ジャイロ回転の成分を復元できず、また、投球ごとにもコースや回転にばらつきがでます。このピッチングマシンの性能としての限界や、実際の練習での使い方を想定し、1球ごとではなく、投手が投げたフォームを球種ごとにラベル付けし、その球種に合わせた軌道の設定とを対応付けることにしました。
前述のとおり、ピッチングマシンの特性上、ジャイロ回転が出せないので、実際の投手が投げる回転をそのまま再現することはできません。したがって、ピッチングマシンが出せる縦横の回転を使って、その投手が投げる軌道に近づくように、チームアナリストの大田穂さんを中心に、実際に打席に立ったことのある選手の感覚も確認しながら調整しました。大田さんは、あらゆる試合をバックネット裏から観察して、データとの両面から相手投手の特徴を知り尽くしており、それぞれの投手の変化についてとても細かく指示をしていただきました。
大会直前の第一次強化合宿初日の2021年5月17日に高崎の室内練習場に設置しましたが、設置すると私たちが想像していた以上に、宇津木ヘッドはじめ選手にも興味を持っていただきました。そして、当初は1週間程度かけて軌道を調整するつもりが、翌日からすぐに練習に使用することとなりました。ピッチングマシンは途中、1週間の中休みを挟んで第2次強化合宿の最終日の7月14日まで設置し、メインの練習グランドから代わる代わる選手が訪れるかたちで使用されました。また、この間にも投手の映像を追加し、最終的には3カ国6投手のコンテンツを準備できました。
選手は、練習場に来ると練習する投手と球種をオペレータに伝え、打ち込みはもちろん、バントやエンドランなど課題を意識して練習していました。山本優選手は、実際の投手との対戦だと「打ちたい」とか、いろんな心境になったりするが、マシンの練習では投手のフォームや軌道を冷静に見ることができるので良いと語っていました。また、選手たちは新しい映像や球種が増えるとすぐに試してみるなど、バーチャルの投手との対戦を楽しんでいるようでした。
このマシンでの練習については、チームの方針として大会の決勝が終わるまで一切公開しないということになっていたため、女子ソフトボールが金メダルを取った後に報道された新聞やテレビなどで「秘密兵器」として取り上げられました。

日本チーム悲願の金メダル

大会を通して、日本チームの打撃は好調でした。この秘密兵器を使った練習がどれほどの役割を果たしたのかは実際のところは分かりません。大会に照準を合わせた各選手に対するコーチの指導はもとより、米国の速球投手を想定して、日本トップの男子投手陣がバッティング投手を務め、アナリストは、コロナで現地に赴けない中、インターネットなどあらゆる手段を駆使して相手の情報を取得し、癖や球種や配球などを分析しました。また、ここに書ききれない、そのほかの努力や取り組み、作用も含めて、その総合的な効果が勝負の結果につながっています。
また、マシンの効果としては、相手投手の軌道とフォームについての潜在的な学習というだけに限らず、相手投手のタイミングに慣れたり、軌道に慣れたり、さらには、このような装置を使ってしっかりと準備をしたということが心理的にプラスになったという効果もあります。その効果や程度を計ることはできませんが、この秘密兵器で練習した成果は、確かにあったのだろうと思います。少なくとも、私たちが見る限り、選手はこのマシンでの練習に、楽しんで、前向きに取り組んでくれていました。チームリーダの矢端氏はソフトボールマガジン2021年10月号にて、それまでの試合で無安打だった山崎早紀選手が決勝でオスターマン選手のドロップに合わせて二塁打を打ったのは、このマシンでの練習の成果が出ているのではないかとコメントをされています。
学術的な研究と選手のパフォーマンスの向上の二兎を追うことは簡単ではありません。今回紹介した取り組みは、研究というよりは多分にパフォーマンスの向上の目的に寄ったものでした。ただ、大会での金メダルをめざした真剣勝負の場で、私たちの研究ツールを有効に使っていただけたという事実は、私たちの実験環境が実戦としっかりつながっていることを証明してくれたのではないかと思います。選手が実戦で発揮する特殊な能力を解明し鍛えるための研究を発展させていきたいと思います。

■参考文献
(1) https://www.ntt.co.jp/journal/1801/index.html
(2) https://www.ntt.co.jp/journal/1803/files/JN20180355.pdf
(3) D. Nasu, M. Yamaguchi, A. Kobayashi, N. Saijo, M. Kashino, and T. Kimura: “Behavioral Measures in a Cognitive-Motor Batting Task Explain Real Game Performance of Top Athletes,”Frontiers in Sports and Active Living, pp.1-9, May 2020.
(4) https://www.ntt.co.jp/journal/1801/files/JN20180118.pdf
(5) T. Kimura, D. Nasu, and M. Kashino: “Utilizing Virtual Reality to Understand Athletic Performance and Underlying Sensorimotor Processing,” Proceedings, Vol. 2, No. 6, 2018. https://doi.org/10.3390/proceedings2060299
(6) D. Nasu, T. Kimura, and M. Kashino: “Do baseball batters perceive straight ball trajectory as straight?,” 2020 NASPSPA, June 2020.

(上段左から)山口 真澄/那須 大毅/三上 弾
(下段左から)木村 聡貴/福田 岳洋/柏野 牧夫

問い合わせ先

NTTコミュニケーション科学基礎研究所
柏野多様脳特別研究室
TEL 046-240-3557
E-mail masumi.yamaguchi.bh@hco.ntt.co.jp