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特集

新たな価値創造をめざすデジタルツインコンピューティング構想実現に向けた取り組み

包摂的サステナビリティの実現に向けた連成技術の研究開発

包摂的サステナビリティの実現に向けては、環境と経済、社会の間の相互作用を理解したうえで政策立案、評価をしていく必要があります。NTT人間情報研究所はこれに対し、計算機上に環境、経済、社会を再現し、それを用いて政策評価を行っていくというアプローチを取っています。本稿ではその実現に向けて、複数のシミュレーションモデルを協調させるための連成技術の概要と政策評価のプロトタイピング、および将来の展望について紹介します。

福田 哲也(ふくだ てつや)/丸吉 政博(まるよし まさひろ)
NTT人間情報研究所

包摂的サステナビリティの実現に向けて

NTT人間情報研究所 NTTデジタルツインコンピューティング研究センタは、地球の環境が備える自律性とその一部としての経済・社会システムの自律性とが包摂的に調和することで可能となる持続性を「包摂的サステナビリティ」と定義しています(1)。包摂的サステナビリティの実現に向けて、環境と経済、社会の間の複雑な相互作用を理解したうえで政策の影響評価をしていくことをめざしています。しかし、現実世界の観察だけですべての相互作用を理解するのは困難なことに加え、現実世界において影響を評価するのは、実施コスト、影響発生の時間遅れ、不可逆性などから困難です。そこで、私たちは計算機上に環境、経済、社会を再現し、政策評価ができる仕組みの構築に取り組んでいます。

連成シミュレーション技術の構築

私たちの環境、経済、社会を計算機上に再現するというアプローチはデジタルツインコンピューティング(DTC)構想に沿っています。すなわち、各々の事象のデジタルツインをシミュレーションに利用可能なかたちであるシミュレータとして制作し、それらを組み合わせることで現実の再現を試みています。例えば、後に例示する自然環境下での水循環と人間の農業生産活動の組合せなどです。
これを実施するためにはシミュレータどうしを適切に結合させていく技術が必要です。こうした結合技術は連成(Co-simulation)と呼ばれています。私たちは連成技術にかかわる要求を、DTCホワイトペーパー(2)、連成に関するサーベイ論文(3)と既存の仕様(FMIやHLA、DCP)、および私たち自身で想定ユースケースを設定したプロトタイピングをとおして抽出しています。私たちは以下の3つの観点から要求を抽出することで、最小限のソフトウェア改修でさまざまなユースケースに適用可能な連成技術の提供をめざしています。
① 基本的な連成機能を提供できていること
② 計算精度や速度についての解析機能を有していること
③ モデルやデータの再利用が可能であること
抽出した要件を図1にまとめました。この要件について詳述します。
①の実現には、まず複数のシミュレータが独立に持っている内部時刻を統一的に管理する仕組み(論理時刻)が必要です。また、複数のシミュレータの変数間の因果関係に従ってデータ交換させる必要があります。そして、このデータ交換が適切な時刻に行われるように、論理時刻に従いながら各シミュレータの進行を管理、制御する必要があります。このとき、各シミュレータで意図的にランダムな擾乱を起こしている場合を除き、計算結果は再現するようにする必要があります。これらは、各シミュレータがネットワーク的に分散したばらばらの環境下で動作している場合でも実行可能である必要があります。最後に、さらなる適用領域の拡大ため、実システムをシミュレータとみなして連成可能できると望ましいです。
②の計算精度や正確度に関しては、データ交換に起因する誤差の混入や拡大を検知して適宜修正可能にしておく必要があります。連成の速度に関しては連成対象のシミュレータに大きく左右されますが、利用シーンを踏まえたボトルネック解析や、サロゲートを含む高速化機能を、利用しやすいかたちで具備しておくべきです。
③の実現もプラットフォーム上でのユーザの良い経験に直結します。モデルおよびモデル間の接続モデルをセットで再利用可能とすることで、別の連成実験でも容易に利用可能となり、その部分の連成を構築する時間が短縮できます。さらにそれをリファレンスとしてカスタマイズの手掛かりとすることができるようになります。データについても利用可能なモデルとの対応付けを行うことで、初学者を含め利用しやすいかたちで提供できるようになります。モデルやデータの再利用性については、各々レポジトリ、データストアの形態で提供し、ユーザによる実利用例の蓄積によって拡張していくことを理想としています。
これらの要求を簡易アーキテクチャ的にまとめたものが図1です。①、②、③の各々が上述のとおり細分化され、合計13個の要求としてマッピングされています。
現在は主に①の基本的な連成機能を具備するソフトウェアを構築し、実験に用いています。実装方法は一通りではありませんが、例えば、次に述べるような方法で実現することができます。図1に示したようにMaster-Worker型のアーキテクチャを仮定します。シミュレータとWorkerの間のデータのやり取りは、シミュレータ側で利用可能な形式、例えばファイルやAPI(Application Programming Interface)アクセスなどを用いて実施します。Master機能部は各Workerが管理しているシミュレータの時刻を論理時刻上にマッピングすることで統一的に管理しており、適切な時刻に適切なシミュレータを実行するようにWorkerに実行指示を出します。実行指示を受け取ったWorkerはデータ交換用の領域(キューなど)から自分宛のデータを受信し、適宜変換したうえで、適切な時刻のシミュレータの状態変数を書き換えながら、指示された期間分シミュレーションを実行します。必要に応じてシミュレーションの実行タイムステップは再分割されたうえで代入や実行処理が行われます。シミュレーションの実行後、Workerはシミュレータから、他のシミュレータの渡す結果を受け取り、加工し、データ交換用の領域に送信します。こうした処理を連成シミュレーション全体の終了時刻に至るまで繰り返します。

環境・経済・社会の連成と政策評価のプロトタイピング

私たちは現在、気候変動下における水循環と食糧生産の間の関係性をリアリスティックに評価するPoC(Proof of Concept)の構築に取り組んでいます。水循環については、陸のどこにどれくらいの水が存在するのかを計算するためにIntegrated Land Simulator(ILS)(4)を用いています。食糧生産を計算するためには、経済・社会的な水利用を詳細に表現している統合評価モデルの一種であるGlobal Change Analysis Model(GCAM)(5)を用いています。このように詳細な環境シミュレータと社会経済シミュレータをオンライン連成させるのは新しい試みです。
ILSでは緯度/経度座標で0.5°単位の情報を1時間タイムステップで計算しており、計算結果は1日単位のもので集約されて出力されます。一方でGCAMは水資源利用の地域は(一部の例外を除いて)大規模な河川流域ごとのポリゴン情報として定義されており(例えば日本は1つの流域、1つのポリゴンで表現)、タイムステップも1年が最小単位です。まずはこれらの時空間的な解像度のギャップを埋めなければなりません。そこで私たちはILSから出力される日単位の平均流出量(≒利用可能水量)を流域単位で空間積分し、それをさらに1年間分時間積分しました。こうすることで、グリッド単位で出力されていた短期間の情報を、ポリゴン単位で定義されている長期間の情報に対して代入することが可能になりました。
これらの手順を経て、ILS側で詳細に計算された地表水の量をGCAMの利用可能水量に代入することで、リアリスティックな水量下における社会経済モデルの挙動を観察できるようになりました。結果の一例として、2020〜2040年の日本における米の年間生産量を図2に示します。連成をしていない場合(青)とした場合(橙)で異なる結果が得られており、連成におけるデータ交換が実施されたことが観察できます。生産量の値は当然一致しないものの、近い値の範囲に収まっており、シミュレータの計算処理も適切に行われているといえます。ただし、さらに計算対象期間を伸ばしていくことで、一部計算結果に課題があることがみえてきています。それは経済社会シミュレータが伝統的に特定の環境シミュレータの計算結果を所与のものとして、それを前提条件に計算していることに起因しています。解決方法の確立は本稿のスコープ外としますが、連成させたことで初めて明らかになった問題であり、現在解決方法を検討しています。
続いて、私たちの連成システム上で政策評価のプロトタイピングを行った結果を示します。ここでは環境政策として水の消費価格を変動させた際の全球的な「水ストレス」の変化を観察しました。水ストレスとは水の利用が環境に与える負荷を評価するための指標です。本実験では利用可能水量に対する水の需要量(消費量)によって評価しています。
水の消費価格を低く設定した場合と高く設定した場合で水ストレスを比較したのが図3です。今回は簡単な比較のため、全世界で共通の価格を設定しています。部分的な例外を除くと、水の価格が高い図3(b)の水ストレスのほうが、水の価格が低い図3(a)に比べて全体的に低くなる傾向が観察されました。
この結果から、単純に水ストレスという指標だけを取り上げた場合には、水消費価格の設定が環境負荷を低減する有効な政策だと分かりました。一方で水消費価格の上昇が、農作物やエネルギーなどの生産量や価格に与える影響はこの図からは読み取ることができないため、別途評価が必要になります。今後、将来課題として、水ストレス以外の指標をWell-being等の側面も考慮に入れながら選択し、それを用いた政策の妥当性評価を実施していきます。

まとめと今後の展望

本稿で紹介した環境、経済、社会連成PoCでは、環境が社会経済に影響を与える片方向連成を実現しました。現在社会経済から環境側への連成も試みており、近日中に双方向連成も実現予定です。紹介した環境、経済、社会連成はグローバルかつマクロなスコープが対象でしたが、私たちの連成技術でローカルかつミクロな環境社会連成を実施した実績も存在します。洪水発生時の避難誘導を計算したもので、河川、氾濫原、避難民エージェントの3つのシミュレータを連成させることで実現しました。
連成技術の速度面の要求で述べたサロゲートによる高速化は気候分野でも注目されており、業界の需要ともマッチすることから現在注力しています。ユーザフレンドリーな連成のために満たすべき要求はほかにもあります。引き続き実利用シーンと照らし合わせながらデザインし将来的に連成プラットフォームとして公開をめざしています。また、経済社会シミュレータ側で明らかになった課題に対処するため、今後は私たちの目的に沿って理想的な要件を再検討し、適切にソフトウェアとしてデザインしていきます。こちらも将来的には公開できるかたちでまとめていきたいと考えています。

■参考文献
(1) 丸吉・六藤・徳永:“環境と経済社会の循環を可視化する連成シミュレーション技術,”NTT技術ジャーナル,Vol.34,No.1,pp.43-46,2022.
(2) https://www.rd.ntt/dtc/DTC_Whitepaper_jp_2_0_0.pdf
(3) C. Gomes, C. Thule, D. Broman, P. G. Larsen, and H. Vangheluwe:“Co-simulation: a survey,”ACM CSUR, Vol.51,No.3, pp.1-33,May 2018.
(4) T. Nitta, T. Arakawa, M. Hatono, A. Takeshima, and K. Yoshimura:“Development of integrated land simulator,”Progress in Earth and Planetary Science, Vol.7,No.1, pp.1-14,Nov. 2020.
(5) M. Wise, K. Calvin, P. Kyle, P. Luckow, and J. A. E. Edmonds,:“Economic and physical modeling of land use in GCAM 3.0 and an application to agricultural productivity, land, and terrestrial carbon,”Climate Change Economics, Vol.5,No.02, 1450003,2014.

(左から)福田 哲也/丸吉 政博

地球環境と人間社会の包摂的サステナビリティの実現に向けては、地球科学や経済学だけでなく、政治学や土木、計測工学といった幅広い領域の専門家の方との協力が必要となります。ぜひ社内外の皆様と議論しながら取り組みを進めていきたいと思っています。

問い合わせ先

NTT人間情報研究所
NTTデジタルツインコンピューティング研究センタ
E-mail dtc-office@ntt.com