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バイオデジタルツイン研究の最新状況
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バイオインフォマティックスとデータサイエンスの医療応用をめざすNTT Research, Inc. Medical and Informatics(MEI)Labは、サイバー空間上に患者さん1人ひとりのデジタルレプリカを構築するバイオデジタルツインの研究に取り組んでいます。本稿では、特にこの1年間のMEI Labにおけるバイオデジタルツイン研究の研究体制の進展と、国立循環器病研究センターを中心としたコラボレーションの状況について解説します。
Joe Alexander
NTT Research, Inc. Medical and Informatics Lab 所長
MEI Labのミッションと研究体制の構築状況
NTT Research, Inc. Medical and Informatics(MEI)Labの使命は、バイオインフォマティクスとデータサイエンスを医療研究に応用することです。私たちのバイオデジタルツイン構想では、医師がさまざまな治療をシミュレーションできる人体のデジタルレプリカの作成をめざしています。この研究の目標は、患者1人ひとりに合わせた最適な治療を実現することです。このプロジェクトの最初の取り組みとして、MEI Labでは心血管バイオデジタルツイン(CV BioDT)の開発に取り組んでいます。私たちが心血管系をターゲットとしているのは、心血管系の病気が世界の死亡率に大きく寄与していることと、モデリングに必要なデータを比較的容易に得られるからです。
この1年にわたり、MEI Labは、研究体制構築の面で大きな進展をみせています。2020年12月には、日本の国立循環器病研究センター(NCVC)との共同研究契約を締結しました。このプロジェクトでは、心血管疾患関連の計算モデルの開発、バイオデジタルツインプラットフォームへのその計算モデルの実装、さらに医師や患者が活用できるアプリケーションの開発を進めます。2021年前半には、シニアサイエンティストJon Peterson博士と、サイエンティストShelly Irisの、2名の重要な研究者の採用を行いました。
NCVCとの共同研究プロジェクト
2020年12月からのNCVCとの2年半にわたるプロジェクトは、「The Development of Human Hemodynamics Mapping and Autonomous Multimodal Therapeutics Systems(臨床的血行動態マッピングと自動マルチモーダル治療システムの開発)」と題されています。このプロジェクトでは双方の組織が主体的に研究に参加します。NCVC側の共同研究契約の主任研究員(PI)は、NCVCの循環動態制御部 制御治療機器研究室長である朔啓太博士が務め、NTT Research, Inc. 側のPIは私が担当します。
今回の共同研究により、NCVCは、急性心筋梗塞(AMI)と急性心不全(Acute HF)に対するマルチモーダルクローズドループ治療介入をサポートする統合計算モデルの開発を進めます。これと並行して、MEI Labはこれらのモデルのバイオデジタルツインプラットフォームへの実装とともに、医師の臨床判断と患者のセルフケアを支援する医師・患者向けのアプリケーション開発も進めます。
NCVCは国立研究開発法人です。政府所轄は日本の厚生労働省であり、これは米国の保健福祉省(HHS)に相当します。NCVCは、心臓血管と脳の臨床的な治療と専門的な心血管研究に重点を置いています。米国国立衛生研究所の一組織である国立心臓・肺・血液研究所(NHLBI)に似ています。とはいえNCVCはNHLBIとは異なり、心血管研究の資金提供機関ではなく、治療と研究を自ら行う機関です。
共同プロジェクトの短期的な目標として、特にAMIとAcute HFに関連する心臓および血管の循環動態を示すモデルの開発と検証を進めます。血液循環の神経制御や心臓のエネルギー論を含む心臓および血管モデルは、心臓の状態に合わせて最適な治療を決定するための計算プラットフォームの基盤となります。朔博士がCV BioDTをサポートするために開発している新しいモデルは、薬物、医療機器、神経調節など、複数の治療法からAMIおよびAcute HFに最適な治療介入を決定するのに役立ちます。長期的な目標は、患者固有のCV BioDTを実現し、患者1人ひとりに合わせた治療を可能にすることです。
私たちが朔博士とNCVCとのパートナーシップを締結したのは、国際的に認められた心血管調節(心血管循環動態または循環動態制御)の専門知識とともに、心不全などの症状に対するクローズドループ自動治療介入や機械的循環補助などに関する高度な技術を有していることが理由でした。このエキサイティングなプロジェクトは、九州大学循環器内科の名誉教授であり、NCVC研究所の循環動態制御部の創設者である砂川賢二博士からの支援も得ています。砂川博士は朔博士と私の恩師であり(私の場合は、ジョンズ・ホプキンス大学、九州大学、NCVCで師事)、この共同研究の仲立ちをしていただきました。今後はMEI Labのために、砂川博士にはこのプロジェクトでリーダー役として手腕を発揮していただきます。
MEI Labでは、2021年2月までに2つのPoC(Proof of Concept)レベルの研究をすでに実施し、初期のバイオデジタルツインプラットフォームアーキテクチャの要求条件と枠組みを確立しています。この共同研究で開発するCV BioDTモデルは、臨床試験での検証に進む前に、さらなる試験研究を経て検証する必要があります。こうした試験は国立循環器病研究センター病院で実施されます。CV BioDTの検証と導入の後半の段階では、バイオデジタルツイン全体の目標に向けてさらに臓器系を追加する予定です。現在注目すべき開発成果として、腎臓、呼吸器、肺、一部神経系とのインタフェースが予定より早く進んでいます。
新たなスタッフサイエンティスト
2021年2月に、Jon Nels Peterson博士がMEI Labにシニアサイエンティストとして入社しました。Peterson博士は、アカデミアと医療機器業界の経験を有する生物医学エンジニアです。直近では、Micro Systems Engineering, Inc.で主席臨床システムエンジニアを務め、埋め込み型心臓モニタ製品の開発をリードするシステムエンジニアでした。それ以前は、Boston Scientific CRM and Creare, Inc.で研究職とエンジニアリング職を歴任し、バーモント大学医学部では研究助教授を務めていました。Peterson博士のバックグラウンドは研究者と臨床システムエンジニアの双方であり、ハードウェア、ファームウェア、ソフトウェアサブシステムの経験があります。数学的モデリングとシミュレーションで才能を発揮し、生理学制御系や病態生理学(心不全など)への造詣も深く、すべてMEI Labで必要とされる専門分野に直接合致しています。
2021年6月には、Iris ShellyがMEI Labにサイエンティストとして入社しました。Shellyは、生物医学信号処理と低電力デバイスの専門知識を備えた応用研究エンジニアです。直近では、Micro Systems Engineering, Inc.でシニア応用研究エンジニアを務め、心臓の不整脈検出アルゴリズムの設計、開発、検証を担当しました。MEI Labでは、まずCV BioDTのモデルのアーキテクチャとインタフェースに取り組みます。彼女のアルゴリズム設計の経験と細部への配慮は、医療機器研究とソフトウェア検証の長年の経験に基づいており、CV BioDTのモデル開発をサポートするために不可欠なスキルです。
MEI Labの所長の交代
ここまで述べてきたように、NCVCとのパートナーシップと新たなスタッフの採用は、2020年にNTT Research, Inc. に入社した私が率いてきたMEI Labのバイオデジタルツイン構想の大きな進展ととらえることができます。最後に、もう1つの変化として、私は2021年7月に友池仁暢博士の後任としてMEI Labの所長に任命されました。友池博士はNTT物性科学基礎研究所のリサーチプロフェッサに就任しました。
この新しい役職で、私は引き続きCV BioDTグループを率いることになります。一方で、私はNTT Research, Inc. やNTTグループ全体と足並みをそろえた包括的な戦略の中で、埋め込み型電極やリモートセンシングなど、他のMEI Labプロジェクトについても、研究開発が円滑に進むように努めていきます。友池博士の志を継ぎ、MEI Labの意欲的な「ムーンショット」目標をさらに前進させていくことを光栄に思います。
Joe Alexander
問い合わせ先
NTT Research, Inc.
E-mail info@ntt-research.com
CV BioDTは、個別化された治療(Precision Medicine)の実現を支援するために必要ないくつかの技術のうちの最初のものと位置付けています。CV BioDT技術と並行して、Heart-on-a-Chip技術なども研究しており、個別化された治療のための 「精密心臓病学」 を目的とした患者専用のデジタルツインをつくり、疾患の根底にある原因と健康を維持または回復する経路の両方を確実かつ正確に予測したいと考えています。私たちの研究は、疾患および健康の早期発見に向けて、急性心血管系ケアから慢性心血管系ケアへと進化していきます。