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特集1

多様な知と技術が彩るだれもがどこでも輝ける未来

人と社会と地球の未来を読み解き、誰もが輝ける世界をデザインする──多様な知と技術で過去・現在・未来をつなぐコミュニケーション科学

NTT コミュニケーション科学基礎研究所(CS 研)では、設立以来、人と人および、人とコンピュータとの間の「こころまで伝わるコミュニケーション」の実現に向けて、人間と情報の本質に迫る基礎理論の構築と、社会に変革をもたらす革新技術の創出に取り組んでいます。本稿では、「人や社会や地球を読み解く」という切り口から、CS研の最近の取り組みについてその一部を紹介します。

納谷 太(なや ふとし)
NTTコミュニケーション科学基礎研究所 所長

人を読み解く

人は日々の人とのコミュニケーションにおいて、言葉や明示的な表情を示されなくても、相手の様子やその場の状況を踏まえて、その人がどのように感じているか、あるいは意図などをある程度推察することができます。現在のICT機器の大半は明示的なコマンドや音声、ジェスチャなどを必要としますが、これらの機器が人間のように相手の心の状態を読み解くことができるようになれば、人と機械との間でよりナチュラルで円滑なコミュニケーションの実現が期待できます。
NTT コミュニケーション科学基礎研究所(CS研)では、このような潜在的な心の状態を、無自覚な身体動作や自動的な生理反応から読み解く「マインドリーディング技術」について研究してきました(1)。特に、身体の表層に現れる情報である眼球の動きや瞳孔の変化を非侵襲的かつ簡便に計測することにより、人のさまざまな認知状態をリアルタイムに推定する研究を進めています。これまでの研究では、魅力的な顔を見ると観察者の瞳孔が収縮することや、逆に顔の画像の周辺の輝度のコントラストを変化させて観察者の瞳孔を無自覚的に収縮させると、見ている顔の魅力度が高くなるという興味深い結果が得られています。これは、魅力的な顔を見ると瞳孔が拡大するとされていたこれまでの定説を覆す結果であると同時に、瞳孔の収縮そのものが好みの判断に影響していることを明らかにした世界初の成果です。また、最新の研究では、ヘッドフォンで左右の耳に別々に提示された音に対し、どちらの音に注意を向けているかについて、注意を向けた音の方向に提示された視覚刺激の明暗に対する瞳孔対光反応が反映している現象を発見しました(2)。このことは、注意の脳内メカニズムが視覚と聴覚である程度共通していることを示唆するのみならず、ユーザの聞きたい音の方向や対象を瞳孔反応から自動的に判断し抽出することにより、補聴器などの聴覚支援デバイスへの適用可能性も期待される結果です。
一方で、前述のような顔の好みや注意などといった心の状態は無意識的に感じていることが多く、実は当人でも明確に言語化したり自覚したりすることは困難なことです。本特集では、今この瞬間に感じている感覚や感情などの経験に対し、抑制することなくありのままに気付いている状態を実現する実践方法として近年注目を集めている「マインドフルネス瞑想」について、その生理・心理・神経メカニズムの解明に関する最新の研究成果を紹介しています(3)

社会を読み解く

続いて、多様な人と人とのインタラクションによって生じるさまざまな社会的状況を読み解く研究事例について紹介します。
新型コロナウイルス感染症拡大防止のため、テレワークや遠隔授業が常態化したウィズコロナ時代における新たな生活様式が浸透する一方で、対面での人とのインタラクションの機会が減少することにより、孤独感や疎外感を感じたり、帰属意識の低下に伴う不安を感じる人が増加しています。ウィズコロナ時代およびこの先の未来の人のWell-being、すなわち、「身体的・精神的・社会的に満たされて生き生きした状態」を理解し追究するうえで、どのような人がどのような状況や要因でWell-beingを感じるのかを明らかにすることは重要な課題です。CS研では、この課題を個々人とチーム・社会との関係性の観点から解明すべく、京都大学大学院文学研究科 出口康夫教授が提唱する「われわれとしての自己観」に基づき、チームや社会に対する人の性格特性を測定する「Self-as-We尺度」の提案に加え、スマートフォンアプリを活用した個人やチームのWell-beingを多面的かつ持続的に計測する手法やツールを開発し、2020年に公開しました(4)。個々人の主観的な心身の状態の変化をとらえるため、直感的かつ身体的な経験をサンプリングする手法として、感嘆詞やオノマトペ、絵文字などを用いた感性表現語を用いてスマホアプリで記録し、これを感性表現マップ(横軸:快不快、縦軸:覚醒度の高低)で二次元的に可視化します(図1)。これにより、さまざまな体験の前後において、ユーザの負担を軽減しつつ、主観的で時々刻々と変化する心的状態をとらえることが可能になりました。これを、共同体験をしている集団のメンバに対して活用してもらうことにより、例えば会議の満足度などの集団のWell-beingや場のムードの変化の関連性を分析することも可能です。
また、個々人が、何が満たされればWell-beingを感じるのかについて、価値観を可視化し共有するツールについても考案しています。約1300名を対象に「自分にとって大切なこと」を3つ挙げてもらうアンケート調査により、約3900の回答をカテゴリ化し、その結果、価値観について、自分に関すること(I)、他者とのかかわりに関すること(We)、地域や社会とのかかわりに関すること(Society)、世界や自然とのつながりに関すること(Universe)の4つに分類できることが分かりました。この価値観の分類に基づいた「わたしたちのウェルビーイングカード」(図2)も作成しており、自分の価値観への気付きや、周囲の人の価値観の多様性を相互に共有して理解を深めるためのツールとして、小学生などを対象としたさまざまなワークショップにおいて活用しています。「わたしたちのウェルビーイングカード」はWebからダウンロード可能であり、使い方の解説も用意しています(5)
さて、昨今、生成AI(人工知能)の1つであるChatGPTなどのニュースや記事を多数見かけますが、CS研では対話型AI技術を用いた少し珍しい研究に取り組んでいます。この研究では、うつ病患者など他者に直接相談しづらい悩みを抱えているユーザが、その悩みを打ち明けやすくし、その内容を専門家へ伝えることを支援する対話エージェントを開発しました(6)。まず、対話エージェントであるチャットボットとの会話を通じて信頼関係を構築して、双方による自己開示をできる段階にしたのちに、チャットボットが信頼する人間の専門家を紹介することによって、専門家への信頼関係はどう変わるのかについて実験を行いました。
実験では、47名の実験参加者が4週間、毎日15分程度のチャットをチャットボットと行ったのちに、最後に1時間オンラインで実験者がインタビューを行いました。この際、実験条件として、ステップ1としてチャットボットとの信頼構築のみを行った参加者と、その後に専門家との橋渡しを行うステップ2の双方を行った参加者とで、チャットボットおよび専門家への信頼度をアンケートにより7段階(1:全く信頼できない〜7:非常に信頼できる)で評価してもらい比較しました。その結果、ステップ2の信頼橋渡しを行わなかった場合と行った場合とでは、チャットボットへの信頼度は変化がなく6程度と高かったのに対し、専門家への信頼については、信頼橋渡しをした場合に有意に信頼度が高くなる結果が得られました。さらに、チャットボットに開示した内容をチャットボットが専門家に共有していいかと聞くと、それに対して肯定的かつ意欲的になる傾向が高まることが分かりました。従来、対話エージェントに関する研究は、人とエージェントとの関係に焦点を当てた研究が大半ですが、本研究はエージェントが人と人とをつなげることをめざした、世界的にもあまり例をみない研究です。今後、人と人との関係性を会話やその場の状況から学習する技術はますます重要になってくると考えられ、CS研においても対話シーンにおける音声・画像・言語情報などのマルチモーダル情報から対話の目的や対話状況をAIで認識する研究などに取り組んでいます(7)

 

地球(宇宙)を読み解く

自然界の森羅万象について、その構造や背後にある法則を明らかにし、これを再現することは、科学における究極の目標といえるでしょう。昨今では、センシング技術の進歩により、例えば気象衛星ひまわりによる台風の発達などを観測した高精細かつ高品質の画像データが取得され配信されるようになりました。近年の自然災害の増加に伴い、このような気象や海流などの流体に関する複雑な物理現象について、観測データからその発達の様子を正確にモデル化し、シミュレーションによって再現することにより、将来を予測する期待がますます高まっています。人類は、ニュートンの運動の法則や運動方程式など、物理現象を観測したデータからその背後にある法則を数式として人手で発見してきました。しかし、複雑な現象になればなるほど、そのモデル化は困難になり、人手で方程式を設計することにも限界があります。このような法則の発見や、現象を忠実に再現するシミュレーションをAIで自動的に実現することは、非常にチャレンジングな課題です。本特集では、事前に人手で方程式を設計することなく、観測データのみから物理現象を再現する機械学習技術として、データ駆動型アプローチに基づく物理シミュレーションの研究について詳しく紹介しています(8)
さて、上記は物理現象のモデル化をめざした研究の一例ですが、気象データなどの複雑な解析には膨大な計算を高速に行うことが必要とされ、昨今では実用化に向けた報道も増えつつある量子コンピュータへの期待が高まっています。しかし、量子コンピュータの実現において量子エラーの克服が極めて重要な課題です。量子コンピュータは、量子ビットという量子力学的な重ね合わせという状態を表すことのできる情報を単位として並列に高速計算できる一方、ノイズによるエラーが発生しやすいため、量子コンピュータの計算結果が正しいか否かを検証する技術が重要になります。本特集では、量子コンピュータの計算結果の正しさを効率的に検証する技術についても解説しています(9)
また、宇宙を読み解くという観点では、ギリシャの哲学者で数学者のピタゴラスは、紀元前6世紀ごろに「万物は数なり」と説き、宇宙のすべては人間の主観ではなく数の法則に従い、数学によって解明できると考えました。CS研では、2021年10月に設立した基礎数学研究センタの最新研究成果として、量子ラビモデルという光と原子などの物質との微細な相互作用を記述する数学的モデルに関し、その時間発展の基本解である「熱核」の計算について、表現論という代数学の理論を用いて厳密に求める全く新しい手法を発見しました(10)。この研究では、現代数学における有名な未解決問題である「リーマン予想」に現れるゼータ関数と熱核との興味深い関係についても明らかにしています。

未来をデザインする

本稿では、人や社会、地球(宇宙)を読み解くという観点でCS研における研究の取り組みの一部について紹介してきました。AIに限らず、技術の進歩は今後ますます加速する一方ですが、技術をつくり活用する私たち自身の責任と倫理観も同時に問われています。時代とともに常に変化する人や社会や地球の多様性に関する理解を深め、宇宙の真理を追究すると同時に、さまざまな立場の人や社会および、変化する地球環境に寄り添い、持続的でより良い未来社会をデザインし、これに向けてさらなる研究開発に取り組んでいきます。

(1) 柏野・米家・Liao・古川:“身体から潜在的な心を解読するマインドリーディング技術,”NTT技術ジャーナル, Vol.26, No.9, pp.32-36, 2014.
(2) H.-I. Liao, H. Fujihira, S. Yamagishi, Y.-H. Yang,and S. Furukawa: “Seeing an auditory object: Pupillary light response reflects covert attention to auditory space and object,” J. Cogn. Neurosci., Vol.35, No.2, pp.276-290, 2023.
(3) 藤野:“マインドフルネス瞑想における「ありのままの気づき」とは何か?─マインドフルネス瞑想の生理・心理・神経メカニズムの解明,”NTT技術ジャーナル, Vol.35, No.8, pp.20-23, 2023.
(4) 西條・藤野・村田・大石・渡邊:“人々のWell-beingの理解と向上をめざした人間情報科学研究,” NTT技術ジャーナル, Vol.34, No.8, pp.24-28, 2022.
(5) https://socialwellbeing.ilab.ntt.co.jp/tool_measure_wellbeingcard.html
(6) Y. Lee, N. Yamashita, and Y. Huang:“Designing a Chatbot as a Mediator for Promoting Deep Self-Disclosure to a Real Mental Health Professional,” ACM HCI, Vol.4, Issue CSCW1, Article No.31, pp.1-27, 2020.
(7) Y. Chiba and R. Higashinaka: “Analyzing variations of everyday Japanese conversations based on semantic labels of functional expressions,”ACM TALLIP, Vol.22, No.2, pp.1-26, 2022.
(8) 田中:“観測データから物理現象を再現する機械学習技術─データ駆動型アプローチに基づく物理シミュレーション,”NTT技術ジャーナル, Vol.35, No.8, pp.17-19, 2023.
(9) 竹内・谷:“量子コンピュータにおける計算高速性と信頼性のジレンマ─計算結果の正しさの効率的な検証技術による量子エラーの克服,”NTT技術ジャーナル, Vol.35, No.8, pp.24-26, 2023.
(10) C.Reyes-Bustos and M. Wakayama:“The heat kernel for the quantum Rabi model,”ATMP, Vol.26, No.5, pp. 1347-1447, 2022.

納谷 太

CS研は、人・社会・地球環境に自然な調和をもたらす「こころまで伝わる」コミュニケーションの実現に向けて、広く学際的な基礎研究に取り組むとともに、パートナーの皆様とのコラボレーションにより新たな価値創造に貢献していきます。

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