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2026年8月号

特集1

シリコンバレーから世界へ:NTT Research 2.0に向けた取り組み

ACIS ――急性心不全の自律的な治療制御技術

NTT Research,Inc. Medical & Health Informatics Laboratoriesでは、急性心不全を対象とした自律的治療システムの臨床応用をめざした研究開発に取り組んでいます。薬剤や医療機器を統合的に制御する治療アルゴリズムと、患者ごとの循環状態を再現するバイオデジタルツイン技術の融合により、複雑な治療判断を支援する新たな医療技術の実現をめざしています。本稿では、その研究背景と技術概要、および臨床応用に向けた取り組みについて紹介します。

片岡 泰之(かたおか やすゆき)
NTT Research,Inc. Medical & Health Informatics Laboratories

急性心不全治療の難しさ

心不全は高齢化に伴い患者数が増加しており、日本では2030年ごろに130万人に達すると予測されています。この状況は「心不全パンデミック」(1)とも呼ばれ、社会的課題として注目されています。その中でも急性心不全は、突然の循環不全により生命を脅かす重篤な病態であり、迅速かつ適切な治療介入が求められます。
しかし、急性心不全の治療は、「血圧を上げる」「血流を増やす」といった単純な対応では十分ではありません。心臓への負担を抑えながら、全身の臓器へ適切に血液を循環させる必要があるため、臨床現場では複数の薬剤や機械補助を組み合わせた複雑な治療判断が行われています。例えば、強心薬は血圧や血流を改善する一方で、心筋酸素消費量を増加させ、心臓への負担を高める可能性があります。逆に心臓を休ませようとすると、全身への血流が不足する場合があります。このように、急性心不全治療には複数の治療目標間のトレードオフが存在します。さらに、患者ごとの病態差、集中治療室(ICU)における計測情報の制約、薬剤や補助循環装置の複雑な相互作用などにより、急性心不全治療の自律化は、次世代医療の実現に向けた重要な研究課題となっています。

制御問題としての心不全治療

急性心不全の治療を制御工学の観点からみると、大きく3つの難しさがあります。
第一に、「モデリング」の難しさです。急性心不全治療では、多様な薬剤や機械的補助が同時に作用する一方、血圧、血流、肺うっ血、心筋酸素消費量など複数の治療目標を考慮する必要があります(2)。さらに、心臓、体循環、肺循環、循環血液量が相互作用する全身循環系を対象とするため、本問題は本質的に多入力多出力の複雑な制御対象となります。
第二に、「制御」の難しさです。実際の臨床現場では、常に十分かつ正確な計測データが得られるわけではなく、限られた情報から患者状態を推定しなければなりません。また、患者間差や同一患者内での生理応答の変動が大きいため、高いロバスト性も求められます。さらに、薬剤投与量の上限や禁忌、機械装置の制約など、臨床的・生理的制約を考慮しながら最適な治療方針を決定する必要があります。
第三に、「検証」の難しさです。臨床応用に至るまでには、シミュレーション検証、動物検証、後ろ向き臨床データ解析、医療認可など、多段階の検証が必要となります。そのため、シミュレータの生理学的妥当性の検証、実験・臨床データの取得、医療認可の要件理解(3)(4)のためには、医療機関との密接な連携が不可欠です。

ACIS:急性心不全の自律的治療支援アルゴリズム

Medical & Health Informatics Laboratories(MEI Lab.)では、急性心不全の治療支援を目的として、ACIS(Autonomous Closed-Loop Intervention System)の研究開発(5)(6)を進めています。ACIS は、薬剤や機械補助の入力を最適化し、血圧、心拍出量、左心房圧、右心房圧などの血行動態を目標範囲へ維持しながら、心筋酸素消費量を最小化することをめざしたシステムです(図1)。
その基盤となるのが、薬理学モデルと生理学モデルを組み合わせた循環器の数理モデルです(図2)。薬理学モデルは薬剤が心血管系パラメータに与える影響を表現します。生理学モデルは左心、体循環、右心、肺循環、循環血液量の相互作用から血行動態を表現します。さらに、左室循環補助装置などの機械的補助もこの枠組みの中で表現でき、薬剤と医療機器を統合的に扱えるモデル表現(7)となっています。
また、臨床現場では心収縮力や循環血液量など直接計測できない状態も多いため、限られた計測データから患者状態を推定するアルゴリズム(8)(9)を組み込んでいます。制御計算では、最適な介入を制約付き最適化問題として解きます。血圧や血流を目標範囲に維持しながら心臓への負担を最小化し、薬剤投与量の上限や禁忌の組合せなどの臨床的制約も同時に考慮することで、最適な治療方針を導出します。

バイオデジタルツインによるシミュレーション検証

ACISのシミュレーション検証には、MEI Lab.で研究開発している循環器のバイオデジタルツイン(10)を活用しています。このデジタルツインでは、循環器を電気回路モデルとして表現し、さまざまな心不全状態を数値シミュレーションできます。さらに、圧受容体反射などの生体反応、薬剤や循環補助装置の介入、腎機能などの生理機能も再現でき、数理モデルだけでは表現が困難な生理現象を緻密に再現しています。
このバイオデジタルツイン上で、重症心不全患者に対してACIS を適用するシミュレーションを行いました(図3)。その結果、血圧、心拍出量、左心房圧、右心房圧を同時に目標範囲へ制御しながら、心筋酸素消費量を大幅に低減できることを確認しました。
本シミュレーションでは、制御入力を連続的ではなく離散的に更新しています。これは、ICU で広く使用される肺動脈カテーテルによる心拍出量や左心房圧の評価が間欠的に行われるためです。この特徴は、ACISの臨床応用において重要な意味を持ちます。
すなわち、完全自動化された治療システムとしてだけでなく、「次にどの薬剤をどの程度投与すべきか」を医師へ提示する意思決定支援システムとしても活用できる可能性があります。このような段階的な自律化は、自動運転分野における運転支援システムから完全自動運転への発展過程と類似しており(11)、臨床応用において重要な考え方とされています。最終的な治療判断は医師が担いながら、システムが複雑な循環動態を解析し、治療方針の決定を支援します。

臨床応用に向けた取り組み

現在MEI Lab.では、ACIS を実際の臨床現場で活用することを想定した推薦システムの開発も進めています(図4)。このシステムでは、ACIS が計算した薬剤の組合せや投与量を表示し、同時にその結果として予測される血行動態の結果を表示します。また、心血管系パラメータの変化量も示すことで、介入から血行動態の結果までの因果関係を説明できるように配慮しています。さらに、医師が実際に選択した治療方針と比較できるようにし、意思決定支援ツールとしての可視化も調整しています。
臨床応用に向け、国立循環器病研究センターとの連携のもと、動物実験、臨床向けチューニング、アプリケーション機能の高度化を継続的に実施しています。これらの取り組みを通じて、実際の医療現場で利用可能なシステムの実現をめざしています。

まとめと今後の展望

本稿では、MEI Lab.で研究開発を進めている急性心不全の自律的治療支援システムについて紹介しました。ACISは、薬剤治療と循環補助装置を統合的に扱いながら、多次元の血行動態を同時に最適化できる点を特徴としています。急性心不全治療は高度な専門知識と経験を必要とする分野ですが、ACIS はその治療判断を支援することをめざしています。
現在MEI Lab.では、患者データから個別パラメータを推定し、患者ごとのバイオデジタルツインを構築する研究も進めています。これにより、デジタル空間上で「薬剤治療だけで管理可能か」「機械的補助循環の導入が必要か」といった複数の治療戦略を比較検討し、臨床現場の意思決定を支援できる可能性があります。
私たちは、医療の自律化が医師を置き換えるものではなく、医師の意思決定を支援し、より安全で質の高い医療を実現するための技術であると考えています。将来的には、患者ごとに構築されたバイオデジタルツインと自律制御技術を融合し、1人ひとりに最適化された治療をリアルタイムに提供できる医療システムの実現をめざしています。
このような未来の医療を実現するためには、単一の研究機関や企業だけでなく、医療従事者、研究者、医療機器メーカ、規制当局を含めた幅広い連携が不可欠です。この研究は、制御工学、循環器医学、医療機器工学、ゆくゆくはAI(人工知能)技術の融合によって初めて実現できる挑戦です。MEI Lab.では、学会活動や共同研究、国際コミュニティへの参画を通じて、グローバルかつオープンな協力体制の構築を推進していきます。

■参考文献
(1)M. Isobe:“The heart failure “pandemic” in japan: Reconstruction of past trends and future projections,” JMA Journal, Vol. 2, No. 1, pp. 26–36, 2019.
(2)P. A. Heidenreich et al.:“2022 AHA/ACC/HFSA guideline for the management of heart failure,” Circulation, Vol. 145, No. 18, pp. e895–e1032, 2022.
(3)B. Parvinian et al.:“Regulatory Considerations for Physiological Closed-Loop Controlled Medical Devices Used for Automated Critical Care: Food and Drug Administration Workshop Discussion Topics,” Anesthesia and analgesia, Vol.126, No. 6, pp. 1916–1925, 2018.
(4)Food and Drug Administration:“Technical considerations for medical devices with physiologic closed-loop control technology: Guidance for industry and food and drug administration staff,” Sept. 2023.
(5)Y. Kataoka et al.:“A Discrete Hemodynamic Control Framework: Proof-of-Concept Study for Autonomous Drug Therapy in Acute Heart Failure,” IEEE Transactions on Biomedical Engineering, 2026.
(6)https://vimeo.com/897450724
(7)Y. Kataoka et al.:Modeling Partial and Total Support of Left Ventricular Assist Device for Discrete Hemodynamic Control Framework,” IEEE Transactions on Biomedical Engineering, 2026.
(8)K. Uemura et al.: “Prediction of circulatory equilibrium in response to changes in stressed blood volume,” American Journal of Physiology-Heart and Circulatory Physiology, Vol. 289, No. 1, pp. H301–H307, 2005.
(9)Y. Kataoka et al.: “Inverse ESPVR Estimation with Singularity Avoidance via Constrained EDPVR Parameter Optimization,” in 2023 45th Annual International Conference of the IEEE Engineering in Medicine & Biology Society, Sydney, Australia, July 2023.
(10)J. Alexander:“バイオデジタルツイン研究の最新状況,” NTT技術ジャーナル, Vol.33,No.11,pp. 44–46, 2021.
(11)D. S. Bitterman et al.: “Approaching autonomy in medical artificial intelligence,” The Lancet Digital Health, Vol. 2, No. 9, pp. e447–e449, 2020.

片岡 泰之

心不全治療の自律化は、次世代医療を支える重要な研究分野です。MEI Lab.は本分野の先駆的な研究開発に取り組んでいます。自律治療やバイオデジタルツインにご興味をお持ちの方は、ぜひ今後の取り組みにご注目ください。

NTT Research,Inc.

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