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2021世界的スポーツイベントとNTT R&D:カテゴリ 選手を『支えた』NTT R&Dの技術

自転車競技×hitoe® 表面筋電位による身体との対話

アスリートにとって筋肉の活動状態を知ることは、パフォーマンス向上やコンディショニングを行ううえでとても重要です。筋肉の活動を知るうえで、体の表面から計測可能な「表面筋電位」は、身体負担の少ない有効な手段と考えられています。本稿では、hitoe®を用いて行った、自転車競技のトップアスリートの表面筋電位計測とその可視化、および分析技術を紹介します。本技術は、トップアスリートの現場だけでなく、日常スポーツにおける自己分析にも活用が期待されます。

田中 健太郎(たなか けんたろう)/塚田 信吾(つかだ しんご)
山口 真澄(やまぐち ますみ)
NTT物性科学基礎研究所

はじめに

自転車競技選手のトレーニングでは、パワー・メーターや心拍計といったセンサ情報を活用したトレーニングが積極的に行われています。トップアスリートの身体情報およびトレーニングの進捗を示す客観的なデータは、パフォーマンスの向上だけでなく、疲労具合の確認や怪我といったコンディショニングの調整につながる重要な手がかりになります。私たちは、動きの巧みさや疲労の状態を、筋肉上の皮膚から得られる表面筋電位から評価し、スポーツやリハビリテーション現場にて、データ駆動のトレーニングに役立てることをめざしています。体の表面から計測可能な表面筋電位は、アスリートにとって、取得する際の負担が少ないデータとなります。日々のトレーニングや日常生活の中で活用することも想定し、ウェアラブルセンサやアプリケーションが一体となったユーザビリティに配慮したシステムの研究開発を進めています。

hitoe®による表面筋電位計測

表面筋電位の計測では、NTTと東レで共同開発したhitoe®を生体電極として使用しています。利点の1つに、動きやすさと電極の設置しやすさがあります。従来型の筋電センサでは、汗の影響による電極の脱落や、電極を1つひとつ固定する事前準備時間の問題、選手の動きを妨げる等の多くの課題があります。一方、hitoe®を使った計測では、トレーニングウェアの裏地にhitoe®をあらかじめ取り付けることで、ウェアを着るだけで容易に電極を肌に固定することができ、脱落の心配もありません。また自転車競技のようなスポーツでは、普段から肌に密着したトレーニングウェアを着用しており、そのままのウェアで電極の固定に必要な着圧も確保できるため、hitoe®との相性が良く、選手の普段の感覚や動作を妨げることもほとんどありません。

自転車選手の筋疲労、筋活動から見えるペダルの漕ぎ方の違いの評価

hitoe®を用いた自転車走行中の表面筋電位計測では、NTTデータとの共同実験のもとで、チームブリヂストンサイクリング所属の橋本英也選手(写真)を含む国内トップアスリートの方々を対象に、自転車選手の筋疲労、筋活動から見えるペダリングの評価を試みました。さまざまな条件でペダリングを行い、集めたペダリングデータを基に、競技の強化ポイントの特定や選手ごとの漕ぎ方の違いに基づくフィードバックを行い、選手の主観感覚を交えたディスカッションを行いました。
図1は、2021年に行われた世界最大のスポーツイベント会場としても使われた、伊豆ベロドロームにてタイムトライアルを行った際の表面筋電位データです。表面筋電位信号の平均的な周波数成分の時間変化を示しています。筋疲労が進行すると、表面筋電位信号の周波数成分が変化することが知られています。図では、主要な筋群である外側広筋(太もも前外側の筋肉)の表面筋電位の平均周波数が、時間経過とともに低下している様子が分かります。ペダリングに寄与する筋肉は複数あるため、こうした傾向が現れる筋部位や変化度合いは、レース戦略や選手の脚の左右差や漕ぎ方の違いによって異なります。レース後半に疲労しやすい筋の特定など、選手が抱えていた課題と客観的なデータの解釈が一致したとき、選手には新しい気付きを提供できます。実際にフィードバックによる気付きを提供できた橋本選手の事例を紹介します。橋本選手は、通常のペダリングよりも、高い負荷でのペダリングを行った際に、筋活動のタイミングや活動時間にバラツキが生じることがありました。特に、図2に示すとおり、左足の外側広筋の筋活動時間が反対の右足よりも長く、踏み遅れが生じていました。この点をフィードバックしたところ、当時レースなどで同筋部位が疲労しやすいとの感覚を持っており、客観的なデータから筋活動パターンに違いが読み取れた点に驚いていました。その結果、日々のトレーニング時に、同部位の筋活動タイミング、踏み込みの長さを意識するといった具体的なフィードバックにつながりました。
そのほかにも、屋内と屋外の環境の違いや、ペダリングの回転数、負荷の違いにより、筋活動がどのように変化したかを分析し、選手との議論も交えて、データの有効性を検証しています。また、コーチと選手の有意義な議論、セルフフィードバックを行うためには、トレーニング後に速やかにデータを可視化して分析結果をフィードバックすることが重要です。そのため今回の実験では、hitoe®表面筋電位計測システムを段階的に開発し、計測終了後の選手へのフィードバックサイクルを早めました(図3)。
本ツールが、身近なツールとしてスポーツの現場に定着していくためには、自身の課題やトレーニングの効果を実感できるような、より分かりやすい指標を見出すことや、今よりもさらに使いやすくするなど、実用上の課題もあります。1つひとつ解決し、日常スポーツでも活用されるツールをめざして研究開発を進めていきます。

(左から)田中 健太郎/塚田 信吾/山口 真澄

NTT物性科学基礎研究所
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分子生体機能研究グループ
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