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特集

ナノメカニクス研究の最前線

光のエネルギー損失が極めて少ないオプトメカニカル素子の創出

オプトメカニカル素子は発光デバイスなどの光学素子に機械的な自由度を付加した機能素子として近年注目されています。これまでオプトメカニカル素子には微細加工が容易な半導体材料が主に用いられてきましたが、NTT研究所では半導体材料よりも優れた光学特性を有する希土類元素を利用した新規オプトメカニカル素子の研究開発を進めています。本稿では、半導体材料よりも桁違いに長い発光寿命を持つ希土類エルビウム元素を用いて実現した“光のエネルギー損失が極めて少ないオプトメカニカル素子”に関する研究成果を紹介します。

太田 竜一(おおた りゅういち)/Victor M. Bastidas
山口 浩司(やまぐち ひろし)/岡本 創(おかもと はじめ)
NTT物性科学基礎研究所

希土類エルビウム元素を用いたオプトメカニカル素子

シリコンなどの半導体薄膜でつくられた微小な板ばね(カンチレバー)構造は、ばねの上下振動を利用したナノメカニカル素子*1として機能します。そのようなナノメカニカル素子は、例えばモバイル端末で使われる微小センサや最先端の分析装置など、幅広い用途で利用されています。これらのナノメカニカル素子は、電気的な操作が可能なエレクトロメカニカル素子と、光による操作が可能なオプトメカニカル素子に大別されます。このうち後者では、素子の内部に光が効率的に入るような特異な構造を組み込むことにより、光と機械振動との相互作用を強めることができます(1)。このような加工により高感度な振動検出や高精度な振動制御が可能となる素子としてオプトメカニカル素子は注目されています。
光と機械振動が相互作用するオプトメカニカル素子では、光と機械振動の間のエネルギー損失時間の関係性が素子の振る舞いにとって重要となります。ここでいう「エネルギー損失時間」とは、例えば光の場合では、光がエネルギーを失って暗くなるまでに要する時間を指します。機械振動の場合では、振動がエネルギーを失って止まるまでに要する時間を指します。オプトメカニカル素子ではエネルギー損失時間の短い系を用いて損失時間の長い系を制御することが可能となります。例えば、光が振動よりも長持ちする場合には、振動を用いて光の強度や位相を変調制御することが可能となります。一方、振動のほうが光よりも長持ちする場合には、光を用いて振動を制御することなどが可能となります。半導体材料で形成された従来のオプトメカニカル素子では、光の寿命すなわちエネルギー損失時間が機械振動の損失時間よりも圧倒的に短いため、光を用いた振動の制御(2)は可能でしたが、振動を用いた光の制御は困難でした。これに対してNTT研究所では、半導体材料と比べて発光寿命が圧倒的に長い希土類エルビウム元素を含むナノメカニカル素子を作製することにより、光のエネルギー損失時間が振動の損失時間を上回る新しいオプトメカニカル素子を実現することに成功しました(3)。これにより、機械振動を用いた光の増幅や発振など、従来は困難であったオプトメカニカル技術が可能となります。
エルビウムは長距離伝送に適した通信波長帯(1.5µm程度)で光を吸収・発光することができるため、光通信用のレーザや光増幅器などへ応用されている材料です。したがって、これをオプトメカニカル素子に用いることにより通信波長帯でのオプトメカニカル素子の動作が可能となります。また、エルビウムは発光寿命が長くエネルギー損失の少ない材料ですので、これを用いることにより素子の省エネルギー化が期待できます。

*1 ナノメカニカル素子:弾性変形を周期的に繰り返すことにより機械的な振動が継続する人工構造体。鐘や鉄琴など楽器の振動板もメカニカル素子の一種です。最近では微細加工技術の発展に伴い、髪の毛よりも細く小さなナノメカニカル素子を半導体チップに集積することも可能になっており、MEMS振動子として実用化が進められています。ナノメカニカル素子のもっとも代表的な形状の1つは本研究でも用いられている「片持ち梁」と呼ばれるもので、プールの飛び込み板に類似した形状をしています。

機械振動によるエルビウム共鳴波長の変調

半導体やエルビウムなど多くの光学材料では、特定の波長(共鳴波長)で強い光吸収や発光が起こります。この共鳴波長は主に材料の特性によって決まりますが、電場や磁場などの外的な要因にも依存します。今回実験で用いたオプトメカニカル素子では、外的因子として歪を機械振動により導入できます。歪によりエルビウムの共鳴波長が変調される光機械特性を用いて、光を用いた振動の検出や、振動を用いた光の制御が可能となります。実は、これまでエルビウムの光共鳴は歪にはあまり敏感に応答しないだろうと考えられていました。それは、共鳴に寄与するエネルギー準位が原子の内殻領域に存在するため、外的な影響は受けづらいと思われていたためです。これに対して私たちは、機械共振により大きな歪を局所的に与えることのできるナノメカニカル素子に着目しました。「共振」とは素子固有の周波数において振動が増幅される現象です。今回私たちが用いたナノメカニカル素子の機械共振Q値は2500ですので、共振を利用しない場合に比べてQ倍程度、すなわち約2500倍も大きな歪を素子に導入できます。この機械共振を用いた大きな歪の導入により、エルビウム元素の共鳴波長を変調させることに成功しました。
今回実験で用いたオプトメカニカル素子は多数のエルビウム元素が埋め込まれた結晶から作製しています。この結晶を集束イオンビームにより斜めから削る(ミリングする)*2ことにより、断面が逆三角形の片持ち梁カンチレバー(長さ140µm、幅14µm、最大厚さ7 µm)が得られます(図1)。これを圧電アクチュエータの上に乗せた後に、エルビウムの鋭い光共鳴が得られる4ケルビン(−269℃)程度の温度にまで冷却します。このような極低温環境において、アクチュエータを用いてオプトメカニカル素子の振動を励起します。アクチュエータに交流電圧を印加すると、その周波数でアクチュエータが上下に運動します。アクチュエータの上に設置したオプトメカニカル素子のチップもこれと同様に上下運動しますが、交流電圧の周波数が共振周波数(1.57MHz)に合致した際には、機械共振によりQ倍程度の変位がオプトメカニカル素子に生じます。その様子は素子に振動検知用のレーザ(波長633nm)を照射し、その反射光をドップラー干渉計と呼ばれる装置で検出することにより確認できます(図2(a))。この機械共振の際にはカンチレバーの中央表面付近に大きな歪がかかり、この歪が結晶に埋め込まれているエルビウム元素に作用します。これらは素子の機械特性を確認する実験でしたが、素子の光学特性は光励起用の波長可変レーザ(波長約1536nm=1.536 µm)を照射することにより評価されます。図2(b)はオプトメカニカル素子を駆動していないときのレーザ波長と光吸収強度の関係を示しています。これにより、1536.48nm付近にエルビウムの光共鳴に基づく急峻なピークを確認できます。
今回作製した素子における重要な特徴の1つは、エルビウムの発光寿命が機械振動の寿命を大きく上回っているという点です。それを確認できる実験結果を図2(c)に示します。このデータは、アクチュエータによる振動の励振とエルビウムの光励起をある時刻で同時に止めて、その瞬間から光の強度と振動の振幅が時間経過によりどれだけ減衰するかを測ったものです。この結果から、光のエネルギー損失時間が振動のエネルギー損失時間よりも十分に長くなっていることが分かります。このような関係性は、極めてエネルギー損失の小さな光共鳴を使用しないと達成できませんが、私たちは従来の半導体材料よりも光学特性の優れたエルビウム元素を用いることにより、これを達成することに成功しました。
今回作製した素子におけるもう1つの重要な特徴は、エルビウムの光共鳴が素子の振動変位に応じて変化するという点です。これは、アクチュエータに印加する電圧の周波数を機械共振周波数(1.57MHz)に合致させた状態で、図2(b)の光共鳴がどのように時間応答するかを評価する実験で確かめることができます。図3は、横軸が光の波長、縦軸が時間、色の濃淡がエルビウムの光共鳴強度を表しており、エルビウムの光共鳴が機械振動の周期〔0.64µs=1.57MHz(共振周波数)の逆数〕に応じてシフトすることを示しています。その際のシフト量はエルビウムの光共鳴線幅を上回っており、歪を用いてエルビウムの発光を制御できることが確認されます。

*2 イオンビームを用いたミリング手法:真空中で飛ばしたイオンをぶつけることで物理的に材料を削り取る加工方法です。材料の組成などによらず、さまざまな材料を加工できることが特徴です。またイオンを斜めからぶつけることでナノメカニカル素子のような立体構造を作製することもできます。

機械振動を用いた光の増幅・発振

エルビウムの共鳴波長が振動に応じて変化する現象は、光と機械振動の非線形な相互作用に基づいています。これを応用すれば、例えば光増幅器のような非線形オプトメカニカル素子の実現が視野に入ります。図4は、今回のオプトメカニカル素子に外部からポンプ光を入れた際に、エルビウムの発光強度がポンプ光の強度に応じて増幅される様子をシミュレーションした結果を示しています。このシミュレーションには前述の実験で得られた光と機械振動の相互作用の大きさと損失時間が用いられており、ポンプ光の周波数がエルビウムの共鳴周波数とカンチレバーの機械共振周波数の和周波に合致した際に光の増幅や発振が可能となります。その理由は、このような周波数整合条件において、ポンプ光のエネルギーが光共鳴と機械共振のエネルギーに分配されるためですが、機械共振に分配されたエネルギーは光共鳴のエネルギーに比べて圧倒的に早く損失してしまうので、実質的に光共鳴にのみ選択的にエネルギーを与えることができるためです。つまり、光の寿命が機械振動の寿命よりも圧倒的に長い今回のオプトメカニカル素子で初めて可能となる現象です。このようにオンチップで形成されるメカニカルな光増幅器は、小型かつ省エネルギーな光デバイスとして注目されます。得られる増幅利得はオプトメカニカル素子の構造やQ値に依存しますので、素子構造の最適化などによるさらなる高利得化が今後期待できます。

まとめと今後の展望

本稿では希土類エルビウム元素を用いた新しいオプトメカニカル素子について紹介しました。機械振動の寿命よりも長い発光寿命を持つエルビウム元素をナノメカニカル素子に埋め込むことにより、微小な振動を用いた光共鳴波長の制御や光の信号増幅などが可能となることを示しました。今回の原理実証実験は−269℃の極低温環境で行いましたが、今後は液体窒素温度(−196℃)での動作に向けて材料や構造の改良を進め、実際に応用利用のできる素子化をめざします。また、今回の素子の動作周波数は1MHz程度でしたが、今後は素子の小型化によりGHz域での高速動作をめざします。そのような高速動作が可能となれば、例えばレーザ光の変調や波長多重化などの光制御技術への応用が期待できます。エルビウムは単に通信波長帯での光アクセスが可能なだけでなく、光の量子力学的な性質を利用した情報通信にも利用される材料です。したがって、そのような元素を含むオプトメカニカル素子による量子情報技術への応用展開も今後大きく期待されます。

■参考文献
(1) M. Eichenfield, J. Chan, R. M. Camacho, K. J. Vahala, and O. Painter:“Optomechanical crystals,” Nature,Vol.462, pp.78-82,2009.
(2) J. Chan, T. P. Mayer Alegre, A. H. Safavi-Naeini, J. T. Hill, A. Krause, S. Groblacher, M. Aspelmeyer, and O. Painter:“Laser cooling of a nanomechanical oscillator into its quantum ground state,” Nature,Vol.478, pp.89-92,2011.
(3) R. Ohta, L. Herpin, V. M. Bastidas, T. Tawara, H. Yamaguchi, and H. Okamoto:“Rare-earth-mediated optomechanical system in the reversed dissipation regime,” Phys. Rev. Lett.,Vol.126,No.4,047404,Jan.2021.

(左から)山口 浩司/岡本 創/太田 竜一/Victor M. Bastidas

近年ナノメカニクスの研究分野は急速に拡大しており、光通信技術への応用にも大きな期待が寄せられています。私たちは「優れた材料」と「最先端の加工技術」を組み合わせることで、振動による制御を可能とする新しい光機能素子の実現をめざしています。

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