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2021世界的スポーツイベントとNTT R&D:カテゴリ 選手を『支えた』NTT R&Dの技術

競泳 × オンライン指導 競泳選手へスマートフォンとウェアラブルセンサを活用してオンラインで行った、胸郭を中心としたコンディショニング

競泳選手の強化練習に伴う慢性的な筋緊張による胸郭を中心とした運動機能の低下に対して、脊柱・肋骨・体幹の機能的な連携への自覚を促し、自然で効率的なからだの動きを回復させるトレーニングを考案しました。スマートフォンによるWeb会議システム、画像記録、hitoe®筋電・呼吸・モーションを計測するマルチセンサベルトを活用し、リモートから定期的な指導を実施し、新型コロナ禍のアスリートの支援を行った結果を報告します。

塚田 信吾(つかだ しんご)†1/濱口 由美子(はまぐち ゆみこ)†2
NTT物性科学基礎研究所/NTTバイオメディカル情報科学研究センタ†1
スプリングスピラティス†2

背景と対象

日本人選手が国際大会で結果を出すためには、体格差を補う十分な筋力、エネルギー代謝能を含めた総合的な体力強化が必要となり、必然的に長期間の高強度の練習が求められます。私たちは、長期の強化練習を行ったアスリートが、疲労の蓄積や故障を契機に、関節痛、発達した筋群の硬化、関節可動域制限を生じ、パフォーマンスの低下と成績不振に陥る症例を複数経験してきました。競技種目にかかわらず、痛みや関節可動域制限は四肢の主要な関節とその部位に限局せず、体幹の胸椎、胸腰椎移行部、助椎関節や肋間筋、肩甲帯周囲にも認められる特徴があります(図1)。これらは主要な筋・関節から離れており見落とされやすい部位であり、慢性的な筋緊張による可動域制限、痛みの影響は、姿勢の悪化によるストリームライン姿勢の水抵抗の増加につながるおそれがあります。さらに呼吸と関連する胸郭(肋骨)の拡張制限に及ぶ可能性もあり、総合的なパフォーマンスに影響することが懸念されました。
私たちはこの課題に対し、胸郭を軸とした関節・筋の機能制限・歪みを緩和するためのコンディショニング、生体センサと映像と用いた評価、スマートフォンを使ったオンライン指導を定期的に実施し、競泳選手をサポートしました。
対象は中京大学水泳部(佐々木祐一郎監督)に練習拠点を置く、国内大会上位入賞および国際大会出場経験のある競泳選手(バタフライ短距離)男女各1名、川本武史選手(トヨタ自動車)と相馬あい選手(ミキハウス)男女各1名(バタフライ短距離、国内大会上位入賞、国際大会出場経験有)です。介入前の自覚症状は、慢性的な背筋の張り(図2(a))、中背部の疼痛、呼吸時の胸郭の硬さ、他覚所見は胸郭全体にすべての方向に可動制限、肩甲骨周辺筋群や脊柱起立筋などの過剰収縮、腰椎の伸展傾向が認められました。全身の連動性に関しては腹臥位の脊柱全体の伸展位(腕立て)にて胸椎部分の伸展可動域制限、頚椎と腰椎仙骨移行部の過伸展を認めました(図2(a))。ストリームライン姿勢の側面像の腰背部のラインにも影響が認められる状況でした(図2(c)(d))(強化練習による再燃時にも同様の所見)。

指導のコンセプト

胸郭は、胸椎椎体の1つひとつが左右一対の肋骨とつながるリングが積み重なった立体構造で、多くの関節によって結合しサスペンションのような役割をします。胸郭は全身の動きの微調整をする重要な部位であり、ただ柔軟性を獲得するだけではなく、全身の連動性の中でいかに胸郭の機能を高めるかという点に注目しました。
まずインナーユニット(横隔膜、多裂筋、腹横筋、骨盤底筋)の共同収縮により、全身を連動するための準備を整え、肋骨を意識的に動かすトレーニング、そして全身のダイナミックな動きの中で胸郭の動きをコントロールできるようにしていきます。自分自身で肋骨の動きを確認したり(図3)、動作時の映像を見て自己修正を繰り返すなど、選手自身が意識してできるようにしていきました。

実際の指導内容

下記の段階的なエクササイズプランに沿って、個別に実地およびオンラインの指導を、1〜2週に1回約45分間実施しました。最初は一軸の基本動作にとどめ、動かす部位を意識しやすいように1カ所としました。安定化させる部分(腰椎骨盤)と動きを出したい肋骨(胸郭)を分離した動作を習得した後に、段階的に動かす部位を2つ以上に、動きの面・軸を増やしました。さらに姿勢を変えて自重の負荷をかける、不安定な状況下で行う、動かすスピードを変えるなど、持久力を高めていきました。
(1) インナーユニットの意識(体軸の意識)
インナーユニット(骨盤底筋、腹横筋、多裂筋、横隔膜が連動)を正しく理解するよう指導しました。呼吸の意識と腹横筋の収縮のセルフチェックをしながら腰椎骨盤の安定を保って、股関節のスムーズな動きを、ゆっくり繰り返し。これを仰臥位、座位、四つ這い位、立位などの姿勢で行うという動作です。
(2) 肋骨の動きとインナーユニットの連動
手を肋骨に当ててセルフタクタイル(自分で身体の動きを修正、誘導)することで、肋骨の基本的な動き(胸椎屈曲、伸展、側屈、回旋に伴う)を理解するよう指導しました。腰椎骨盤を安定させたまま、呼吸を意識して肋骨を動かし、胸郭の広がる部位との関連を理解しながら行いました(図4)。
(3) 全身のコネクトの状態で脊柱、肩関節、股関節などの部位を意識して動かす
全身のコネクト(インナーユニットの意識、股関節安定、肩甲骨安定、腹筋や背筋などが意識的につながり、コントロールされた状態)を維持しながら、肋骨の動きを意識して全身を連動させるよう指導しました(図5、6)。

胸郭の機能の評価 映像とウェアラブルセンサによる生体計測

hitoe®電極による筋電計測、9軸モーションセンサ(各3軸加速度・ジャイロ・方位)、呼吸時の胸囲の伸縮を計測するストレッチセンサを搭載したマルチセンサベルト(研究用)を制作し、身体計測に活用しました。BLE(Bluetooth Low Energy)経由でスマートフォンにデータを転送するとともに、内蔵メモリにデータを保存しました(図7)。マルチセンサベルトの防水型(研究用)は専用のhitoe®ベルトを用いて筋電図、心拍、モーションの水中計測にも活用しました(図7(e))。

ストリームライン姿勢の胸郭拡張機能の評価

呼吸のしやすさ、腕の上げやすさを他覚所見としてエクササイズの前後に聴取しました。ストリームライン姿勢での呼吸時の胸郭拡張の程度(胸囲の連続計測)も、マルチセンサベルトのストレッチセンサにより測定しました。エクササイズの前後ストリームラインの姿勢の変化を3方向から撮影し評価しました。その結果、呼吸のしやすさ、腕の上げやすさは、エクササイズ後に5段階の自己評価で1〜2段階アップしたことが分かりました。姿勢の変化の経過をみると、開始当初は腰椎前弯、胸腰椎移行部の伸展の傾向でしたが、徐々に改善したことも分かりました(図2(b)(e))。

スマートフォンのビデオ会議を活用したオンライン指導

新型コロナウイルス感染症の拡大に伴い、2020に開催される予定だった大会は1年延期となりました。感染を防止するため、主たるトレーニング場所である中京大学や合宿の行われる競泳施設への立ち入りは厳しく制限されました。現場での対面指導からスマートフォンのビデオ会議システムを用いたオンラインの指導に切り替えて定期的なコンディショニングを継続しました。選手は基本的な動作をすでに対面指導により習得していたことから、オンラインの指導においても、対話および上記評価指標、ビデオ映像による体の動きから現在の選手の状態を把握し、指導内容を調整することで徐々に調整と技術をステップアップしました。オンライン指導によるコンディショニングは選手の意欲的な取り組みに助けられ、海外遠征や強化合宿期間も含めて2021年の本番大会の開催まで継続することができました。

考察

競泳選手に求められる、水中の抵抗の少ないストリームライン姿勢の維持には、肩関節の可動域だけでなく、胸椎の伸展にかかわる多数の筋肉の協調、特に多裂筋や回旋筋など脊柱の分節レベルの深部の小さな筋群(ローカルマッスル)のコントロールと、肩甲骨周囲筋群、脊柱起立筋、呼吸関連筋、広背筋、腹斜筋群など(グローバルマッスル)の十分な伸長が必要となります。高強度の訓練の結果、疲労や怪我を契機として、比較的脆弱な構造・組織にストレスが集中し、局所的な炎症・痛みをトリガーに神経・筋・血管制御系を介した悪循環を生じ、慢性的な痛みや機能障害を生じていることが示唆されます。全身の連動性を意識しながら、胸郭の本来持っている機能を引き出し、自分自身のコンディションの自覚を促す効果も期待できる、胸郭を中心とした定期的なコンディショニングは有効であると考えられます。
川本選手は、日本選手権において50mバタフライで日本新記録による自己ベストを更新、100mバタフライ代表として出場しました。
相馬選手は、短水路日本選手権において50mおよび100mバタフライで優勝しました。
アスリートには体力、技術、精神力の強化とともに、厳しい訓練に伴う疲労や潜在的な機能障害への対処が必要と考えられ、今後もサポートしていきたいと考えています。

(左から)塚田 信吾/濱口 由美子

問い合わせ先

NTT物性科学基礎研究所
質分G
TEL 046-240-3312
FAX 046-270-2364
E-mail sbrl-kensui-pb@hco.ntt.co.jp